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 01 バリの扉のむこうの聖なるもの

 バリにはいろいろなドアがある。ロンボクスタイル、ジャワスタイル、どれがバリスタイルなのか普通わからない。バリにあるから、それでいいのだが、バリの独特のスタイルは、木彫りしたものに色が塗ってあり、絵柄は花やヤモリ(ゲッコウ)である。人の形を彫っているのもある。
 お金持ち、格式の高い家はこのドアに凝る。金と赤、金と黒、たいそうなのである、宮殿がその代表である。初めけばけばしいように感じる。いかにも成金趣味ではないかと感じる。
 やがてバリ島ほど金色が似合うところはないのではないか、と思い始める。レゴンダンスともイメージが重なる。木彫りの上に輝かしく金や赤で塗られた扉。そこを開けると、何が待っているか。聖なる空間、厳かに開ける扉のむこうは死の空間なのである。毎夜、黄金の扉を開いて閉じて、悶えて、あえぎ果てるのである。悦楽と呼ぶにふさわしい死への扉である。
 バリの美しい女性は笑って言った。「単なる木彫りの扉よ。」


 02 影を残す天蓋付き寝台

 一般にバリ島民はこの四方を薄くて細かい網の目になったような蚊帳を張って眠るわけではない。彼らはサミロトを食べているから血液が苦くて蚊も 近寄らないのである。
 王宮。ここにはあった。
 今はリゾートに来る人々にこういう寝室で楽しんでもらおう、という趣向である。おそらく、マレーシア、ベトナム、タイ等にも同じような寝室はあることだろう。

 蚊の侵入を防ぐために蚊帳があるのではない。菩薩の境地に達した、あるいは達する前の戯れもこれまた菩薩の境地であると、理趣経では言っているが、そんな男と女の姿が影となって浮かびあがる。そこに入れば幻の中に入ることになる。幻の中で詩や小説を読むことはできない。
自分達の姿態の幻を見るから
その幻の・・・寝台に入ってみたいと思うのだ。


 03 花を飾る

 パリマナンという黄色みがかった白い石であれ、アンティーク調の木桶であれ、ガラス容器やバスタブであれ、バリ島では水に花を浮かべる。
 ただ無雑作に花びらを捲くのではなく、中心に何を置き、周辺をどのような色や形の花びらを使うか、その辺を心得て飾っている。
 大胆にプンジュン(ウォーターリリー)の立っている花びらを水面に対して水平に広げてしまう。この発想はこれまで日本でみたことはなく、感心してしまった。
 花は神に通じる。人に見てもらおうと思って花を飾るのではない。神に見てもらおう、喜んでもらおうと花を飾るのである。ガメラン、グンデールも同様、人が聞いていなくても平気である。神に対して演奏をしているのだから。


 04 籐とバナナのソファ

 人間の身体の動きに合わせ伸び縮みする素材。ソファに使うなら皮、と思っていたら、籐とバナナのソファも同様なのだ。籐でしっかりと、乾いたバナナの皮で柔軟に。座ると、心地よい。
 のんびりと、何もせず、バリ島のヴィラかどこかで過せる日があれば、このソファはいい。木は硬すぎる。籐は壊れやすい。布はなんだか汗の匂いがするし、埃っぽい。バレでは寝転がって本を読み、この籐とバナナのソファでは、ひがなぼんやりとする。またあれこれ静かに思い、静かに自分を振り返る。あるいはこれからの自分を思う。
 ホテルでは見たことがない。バリ人の家でもみたことがない。新商品だろうか。外国人が考えだしたのか、バリ人が考えだそいたのかわからない。バリにあるのだから、きっとこれは新しいバリスタイルになっていくと思う。それほどよい。


 05 テラッコタの皿
 低温で焼いた皿。少しの衝撃ですぐ割れる。皿には、花や魚の絵が線で刻んである。
 三年ほど前「大人のバリ」という写真誌を見たことがある。表紙にはこの皿に花をのせ、上方に女性の裸足の甲から指先が写っている。女性が立っていてその前にこの皿を置き、写真を撮ったのらしいが、こういう足を入れてしまう発想に驚いたものだ。この甲から指先が上方にあることによって写真は生々しく、物としてではなく人間がそこにいる。裸足の女性がそこにいる、と思い、写真からイメージが背景に広がり、花々は人間とのかかわりの度合いを強める。
この時思うに、皿はこの皿でないといけないのだ。ロンボク島の皿だと聞いた。
 さてこの黒色のうわ薬を塗った素焼きの皿だが、一番最初は必ず水が漏れる。使ううちに漏れなくなる。
 部屋に一枚置くだけでバリっぽくなる。物入れにしてもよい。飾ってもよい。食卓で使ってもよい。
 人間の原型を思い起こさせるようで、心落ち着く不思議な皿だ。

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