バリは今(2005年6月)

「インフレ栄養失調」            by Aki
インドネシアの底辺では「栄養失調」が急増している。
主婦層に絶大な支持率を持つ、ユドヨノ大統領が打ち出した経済改革のお陰で物価が急激に上がったのが原因だ。
人々の生活水準は相変わらずのままで、物の値段だけが上がった歪が先ず弱いものに来るのは道理だ。
貧富の差が激しいインドネシアでは低所得者層の子供達が犠牲になっている。
ミルクが買えない。
満足な食事が摂れない。
1日に1度、白いご飯と塩が食べれたらましな方だとする人は少なくない。
新聞には、異様に膨らんだ腹から枯れ枝のような四肢がぶら下がり、光の失せた目はギョロリと落ち窪んだ“乾いた子”らの写真が載っている。
その紙面をめくるとそこには金持ちの子弟が、不健康までに太った身体に高価そうな服をまとい、モデルばりにポーズを決めている。


「私が選出されずユドヨノ氏が選ばれたのは、あなた達国民が大きな変革を求めたからでしょう。“ミルクが買えない”、と今更言われても選んだのはあなた達じゃぁないの」
久しぶりに新聞で見た、元大統領メガワティ女史はそう言う。


バリ島のサーフィン大会               読者の方からの情報です。
6月25日〜7月3日 第3回クタカーニバル  クタエリアにて
6月26日     GROMSEARCH       クタエリアにて
7月2日〜7月3日  Indonesian Surfing Chamionship 2005 第4戦 クタエリアにて


『非常事態のフェスティヴァル』
             by Aki
−先日、Jakarta警察からBali警察当局へ、確かな情報筋からの“ある情報”の通達だあったそうだ。
その“ある情報”とは、Jawa島から3台の「爆弾」を積んだ車がBali島へ入ったというものである。
Bali警察当局がその3台の車両ナンバーを照会したところ、いずれも偽装ナンバーだったそうだ。


アメリカ大使館はすでに閉鎖、オーストラリア大使館も渡航避難勧告を出して久しい。
同じく日本人会事務局からも2000年ののテロの時と同じような注意事項が発せられた。
人がたくさん集うような場所へはいかないようにする、や目立たないようにする等である。
それから数日後、JAWAから入ったとされる3台の車両の内2台は捕まったと報道された。
....がしかしまだ1台ある。
在外国人は今回のこの情報をかなり神経質に受け止めていた。


昨日18日から始まった毎年恒例の「BALI ART FESTIVAL」。
国内、海外から人が集まるこのフェスティヴァルはテロリスツにとってはまたとない絶好のチャンスなのに、開催されているところを見るとあの「緊急事態」はすでに沈静されたのであろうか..。


なにげなくつけたTVにはSBY(スシロ・バンバン・ユドヨノ)大統領と夫人がBaliの正装をして暑そうに座って催し物を観覧していた。


...暫くは大丈夫なようだ。


『ニュー・スポット』                 By Aki

渡Bali観光客数はすでに爆弾テロ事件以前に戻り、先年など新しくBaliのお得意さんとなった台湾人・韓国人の凄まじい流入で、テロ以前の平均を上回ったらしい。
が、しかしである。
紙面上は素晴らしい数なのであるが、当の本人いや、観光客達を見かけないのである。


戦時中日本国内では、戦局がおもわしくないにも拘わらず、国民には、“勝っている、勝っている”と言っていたそうであるが、Baliでもホントウは紙面に記されている数ほどの観光客など訪れてないのに、“来ている、来ている”と書いているのだろうか….。
それとも、相変わらず高級リゾート区域のNusa・Dua内に篭ってるのだろうか.....。
はたまた、今ではすっかり「Baliに来たら必ず訪れるホントのBALI」としてその地位を確立したUBUDに直行直帰してるのだろうか.....。
しかし訪れる観光客達が全てNusa・Dua、もしくはUBUDにいる訳ではあるまいに。
それに以前なら滞在地はどこであれ、Kutaやレギャン通りは“Baliに行ったら必ず歩いてみる場所”として常に観光客で溢れていたものだが。
はて、一体何があったのだろう?


最近カルティカ・プラザにででん、とOPENした「セントロー」。
ブランド品・インドネシアンブランドらのテナントが軒を連ねる、巨大(そうでもない)なショッピング・コンプレックスなのである。
BALIの紀伊国屋といっても過言ではない(過言かも)、スーパーマーケットは品揃えも豊富(そうでもない)。
これでもかという位ガンガンにA/Cの効いたこの一画が「オシャレな街」(言い過ぎた、ゴメン)に変ったようである。
思えばBaliの観光産業はSanurから始まって、漁村だったKuta、レギャン、白人カルチャーのセミニャック、と来たが今度はカルティカ・プラザという。
ちょっと前までカルティカ・プラザというと「ウォーター・ボム・パーク」しか目ぼしいものはなかったのに。


てな訳でかの地・カルティカに行ってみた。
いたいた。
ここにいた。
皆んないた。
数字の上だけの未確認観光客達が行きつ戻りつしてる。
かつてKutaを、あの長い長いレギャン通りを闊歩していたように今、カルティカに「BALI」を見出していた。


バリ州芸術祭の季節です。         By Ryo
年中行事となった『バリ州芸術祭(通称PKB=ペーカーベー)』の季節です。今年は、6月18日から7月 16日までの日程で、いつもの通り、デンパサールのアートセンターを中心に各種催し物が開催されます。


開幕日となる6月18 日は、デンパサール東部はルノンにある『二ティ・マンダラ独立闘争記念公園(通称ルノン公園)』にて、大々的なオープニング・パレードが行なわれます。このパレードはそれはそれは華やかなもので、多くの(!?)外国人観光客も訪れます。 ・・・「Ryoさんのチャンプル便り」に続く



『五月病』                     by Aki

日本では丁度今、『遅れてきた五月病』の時期らしい。


新学期や入社など新しい生活が始まってそろそろ1ヶ月...という頃、本家本元の『五月病』はやってくる。
その症状は“なんだかかったる”く、“将来に希望が持てな”くて “悲観的になる” のが大筋らしい。
昔の人や昔かたぎの人に言わせれば “甘えて” いて、“なまけもの”、で “けしからん” らしいのだが、「何とか性何とか」とかいう立派な鬱病の一種というではないか。
大半は時期が来ればまた「活人生」の軌道に戻るのだが、中にはずるずると、いつまでも“だるい”が故に学校や会社をそのまま辞めてしまったり、父とか妻、学生一流企業社員、といった現在の自分の役をも降りてしまう人達が少なくないということである。
逃走したりする人はそれでもまだよいが、中にはあっちの世界へ “戻れぬ逃走” をする人だっているんだそうだ。


Baliでの『五月病』は今がシーズン真っ盛りである。
入社や入学の時期などは日本とは違うが、3月末から4月にかけて、ジトジト、ヂメヂメ、モワンとした雨季が明けてちょうど1ヶ月程である。
皆一様にどよぉん、とした顔をしている。
「どうしたん?」と聞いても「べつにぃ〜」とか「はぁ〜あぁ....」とか「人生ねぇ〜….」などといった暗い返事が返ってくる。
やっぱり “なんだかかったる” く、“将来に希望が持てな” くて“悲観的になる”のが主な症状であるらしい。
まず理由として、寒い。
タンクトップやショートパンツで真っ赤な顔をして汗をドクドク流しているのは観光客ぐらいのものだ。
地元では人々は長袖、セーターを来て、靴下をはく季節である。
当然、季節の変わり目は病が蔓延る。
特に多いのが風邪ひきで、ケホンケホンと咳をしたり、鼻水ジュルジュルだったりと、なるべくなら同じ空間には居たくないものである、“かったるい”という精神状態も感染るのだから。


なんせかんせ人々には “はき” がないのだ。
空は高く、日本で言うと“秋の空”だ。
何だか物悲しい気分になるのだよ。
きっと、庭のココナツトゥリーを見ても、たわわに実ったバナナを見ても「わけもなく涙が出ちゃう」 …んだろう。


大半は時期が来ればまた「活人生」の軌道に戻るといったことも日本と同じ。
ずるずると、いつまでも “だるい” が故に学校や会社をそのまま辞めてしまったりする人が多いのも一緒。
“甘えて” いて、“なまけもの” で “けしからん” などと渇を入れる日本の昔かたぎのバリ人がいるのか否かは定かではない(いるとは思えない)
ただ父とか妻、学生、一流企業社員、といった現在の自分の役をも降りてしまう人達は殆どいないだろう。
ここでは必ず誰もが社会の中で「役割」を持っていて、それは個人よりも優先である。
そんな風土で、そんな風にして育ってきてる。
「役割」は彼らの人生の「義務」や「意義」と違わないだろうから、それを失ったら多分、自分自身をも見失ってしまうだろう。


彼たちにとって「社会における役割」というのは人生そのものである。


お受験 de Bali
     by Aki

日本の都市部ではもはや当たり前となってしまった中学お受験。
やれ偏差値だ、なんとか合宿だ、自殺だ家庭内暴力だと騒がれており、学歴社会は今や世界中を覆い尽くす勢いでございます。


偏差値をクリアし合宿に参加し、トイレの壁を殴るだけに留め、親を金属バットでなぐる閑もエネルギーもなく、ただただ死に物狂いで勉強の挙句、めでたく合格と相成りまして、兼ねてから約束だった「受かったらBaliに連れてってやる」がとうとう叶いましたが、開放感に胸躍らせて来てみればこの楽園もお受験シーズンの真っ最中でございました。


ここでは義務教育は小学校まで。
中学校からは義務ではありませんから行かなくてもよろしい。
最近は殆どの子が行っとるようです。
受験盛りの子供の親である知り合いは、エスカレーター式に進学する今通っている小学校付属の中学で、のびのびしなさい、などと思っていたのだが当の子供が私立を受験したい、などと言い出し、1人勝手に猛勉強を始めたそう。
そこでは小学校付属の中学校へいく人は「よそへは行かずこのまま通います」、といったような届けを出させられるそうで、それを出したら「やっぱり私立を受験....」などと気が変ってもだめなんだそうです。だから一か撥か、後戻り出来ぬ、といった風なんだそう。
そして私立中学は公立に比べて学費も相当なものらしく、「万が一受かったらどうしよう」などと子供の将来より財政を心配してる不届きな親なのであります。
日夜がんばる愛息には「落ちたらもう一回6年生やれよ!」と励ましてるそうです。
ちなみにここでは小学生でも落第があるのです。
よく道で見かける異様に恰幅のよいとっちゃん坊やが、パッツンパッツンの小学生の制服に身を包んで闊歩してるのはまぎれもなく6年生の2期生、3期生。
その前に各学年2年ずつとか経てきてることも当然考えられわけでございます。


お向かいの子供は今年5年生になった途端に、来年の受験の準備体制人生へと突入しました。
自分の子弟を、自習とお掃除の時間の多い公立の小学校から私立の学校へと転校させ、今度の学校は授業は先生付きだし、掃除はないし、おまけにコンピューターの授業はあるわで大変に喜んでおりまして、朝夕の送り迎えなど苦にはならぬようです。さらに学校がひけると今度は塾ですわ。
そのうち子供が大変だというので学校の近くに部屋を借りまして、子弟はなんと週日はその下宿で過ごすという有様。
ちなみに子弟は齢11歳、小学5年生。
今では彼を見かけるのは1週間に1度、これからデンパサールにある下宿へ戻ろうという日曜日の夕方。
つい先日までその時間は、近所のクソガキ仲間と遊びに遊んでワタシによく怒鳴られていましたのに。


....フゥゥ、楽園でもすでにこの有様だ。
方や貧富の差が激しいが故、学校など行ってない子もたくさんいます。
勉強なんかより1日も早く立派な稼ぎ手になることのほうが大事なのですね。
インドネシア語は当然、小生なんかよりベラベラだからつい、「スペル書いて」などと紙とペンを渡しても、字が書けないことに毎度のことながら驚いてしまいます。


先日、その“ご近所さんのご子息”にばったり会いまして「おいぼうず、猛勉強の行く末は何になるつもりだい?医者かい学かい?」とたずねたところ、件の彼、胸を張ってこう答えました「レストランのウェイターになるんだ」
世界的な観光地でのウェイターは敷居が高いのかもしれません。


おあとがよろしいようで……..。