Part2

【1.明日のことは考えない】
 「のんびり、あせらず、明日のことは考えないで」というのが多くのバリ人の生活の送り方である。
 この事実に、「早く、てきぱきと将来も展望して」という日本人がぶつかると、比較論でしか考えない日本人は、バリ人のことを馬鹿にし始める。同じ日本人の友達に不平を言い、怒り心頭になる人もいる。
 前回は「なぜ時間の感覚が違うのか」について書いた。わたしの結論は、遠心力と重力の合力に対する抵抗力の負荷が大きいためではないか、ということだった。当然気温・湿度も加わる。
 今回は、「明日のことは考えない」のは何故か、である。
 それは「豊かさ」のせいである。あるいは自給自足で豊かだった頃の習性がのこっている、と言ってもよい。
 バナナがある。用途の多いココナッツがある。この島にはフルーツが多い。米は一年に3回も4回も収穫できる。
 食べ物を保存する技術が一般の人々の間に普及していないのは、その日採った(買った)ものをその日で食べてしまうからだ。冷蔵や冷凍をすること、発酵させること、燻製にする発想が環境上なかったのである。明日のことなど考えなくてよかったのである。
 そういう風に考えれば、バリ人に怒り心頭するのは徒労であり、無意味であることがわかる。
 同じ視線で心情的にぶつかると、顔が悪くなるから、上からの視線や斜め上からの視線も時には必要である」。客観性を獲得できたら、文化を公平に見ることができる。


【2】
 バリ島のホテルスタッフの客への態度は、笑顔で丁寧に応対し、客とやや距離をとるというものと、なれなれしく話しかけたり、仕事中ぺちゃくちゃと私語をしている、というものがある。
 プロ中のプロのホテルはもちろん前者である。
 私は今回の滞在では、多くはホテルにひきこもって本を読み、それを頭の中にたたき込み、整理して、まとめるという仕事をしている。部屋の中でやっていると、部屋の掃除にスタッフが来る。黙々と掃除をしてくれるので有難い。気分を変えてレストランでコーヒーを飲みながら頭の中にこれまで読んだ内容を反芻していても、放っておいてくれるので有難い。
 ちょっと話をしたい時、何かを聞きたい時にはさっと来てくれて笑顔で話し相手をしてくれる。たいへんよい。
 ホテルは「ザ・パトラ バリ」という。クタの空港のすぐ近くで、昔は「プルタミナコテッジ」と呼んだ。全面改装して新しく生まれ変わっている。
 部屋は大きく、寝室をリビングとバスルームがあり、私は一つの机にパソコンを置き、もう一つの机にはノートを置き、もう一つの机には自由に使えるよう何も置かず、部屋の中であちこちと位置を変えて仕事をしている。
 毎日晴天が続いているが、バリ島の二月は風が強い。夕方夕日が沈むのを見に外に出て、海岸沿いに歩くと、地元の若い二人連れの男たちが釣りをしている。遠くから見ればなんともいえないゆったりした風景である。しかし、釣りの現場に行くと風のせいで波が岸壁で砕け、現実はこの波のように変化するものだと思う。


【3.星】
 バリ島のホテルスタッフの客への態度は、笑顔で丁寧に応対し、客とやや距離をとるというものと、なれなれしく話しかけたり、仕事中ぺちゃくちゃと私語をしている、というものがある。
 プロ中のプロのホテルはもちろん前者である。
 私は今回の滞在では、多くはホテルにひきこもって本を読み、それを頭の中にたたき込み、整理して、まとめるという仕事をしている。部屋の中でやっていると、部屋の掃除にスタッフが来る。黙々と掃除をしてくれるので有難い。気分を変えてレストランでコーヒーを飲みながら頭の中にこれまで読んだ内容を反芻していても、放っておいてくれるので有難い。
 ちょっと話をしたい時、何かを聞きたい時にはさっと来てくれて笑顔で話し相手をしてくれる。たいへんよい。
 ホテルは「ザ・パトラ バリ」という。クタの空港のすぐ近くで、昔は「プルタミナコテッジ」と呼んだ。全面改装して新しく生まれ変わっている。
 部屋は大きく、寝室をリビングとバスルームがあり、私は一つの机にパソコンを置き、もう一つの机にはノートを置き、もう一つの机には自由に使えるよう何も置かず、部屋の中であちこちと位置を変えて仕事をしている。
 毎日晴天が続いているが、バリ島の二月は風が強い。夕方夕日が沈むのを見に外に出て、海岸沿いに歩くと、地元の若い二人連れの男たちが釣りをしている。遠くから見ればなんともいえないゆったりした風景である。しかし、釣りの現場に行くと風のせいで波が岸壁で砕け、現実はこの波のように変化するものだと思う。


【4.髪型】
 バリに何度も来るようになり、長い滞在をするようになって、髪の毛の変化に気がついた。身体の調子が悪いから髪が縮み始めたのか、別の要因があるのか考えた。私はまだ「老い」ということを露ほどにも考えていなかったし、思いあたるふしもなかったので、結局、バリの水のせいにした。毎日ホテルでシャワーを浴びる。髪の毛の手入れというものはしたことがない。ただシャンプーで洗えばよいと思っていた。
 三ケ月が経って日本に帰ってからも髪の癖は元に戻らず、その後、抜け毛も多くなった。髪はしなやかに硬くて多いのが私の髪だったが、それが細くなり、くせ毛のようになって、髪の毛があっちへいったり、こっちにとんだりするようになった。相変わらず、髪の手入れはせず、床屋に言ってこぼしていた。
 ところが今日、2005年の2月7日の夜、ホテルの戻って鏡の前で顔を洗った。濡れた手でついでに髪に触り、両手のひらでオールバックにするように髪を全体に後ろのほうに上げたのである。すると、すんなり髪が収まった。
 あれ、これは矢沢栄吉の髪型ではないか。と思うや、オールバックにした中年以上の男性が多いことに気がついた。「年のせいだ」と一瞬思った。そして次には「なるほど」と思った。バリの水のせいではないのだ。髪の毛が、あるいは自分の身体が「オールバックにしてよ、オールバックのほうが収まりがよいぞ」と言っているのだ。
 中年以上の人が髪を前から後ろのほうに逆さに上げているのを妙な頭だと考えていたから、自分がそんな髪型になるというのには異和感がある。
 髪の毛相があるのかどうか知らないが、オールバックの髪型になれば、私は違う人格になってしまうように思う。人からも人格が変わったように思われるのではないか。
 まてまて、キンキキッズの剛くんもよく髪型を変える。女性だってよく変えるではないか。髪型に人格などを見ていないはずだ。
 いや、まてまて、若い頃どんな髪型にしようが、自由に思いのままどうにでもできた。しかし寄る年波の中でいつしか「自分の髪の癖にぴったりとする髪型」というのはあるのではないか。結局そこへ収斂していくのではないか、と思い始めた。
 そしてしばらくして、もう少し頑張って元の髪型を努力して維持しよう、と決意した。私はもう少しは若い風でありたいと思うのである。こういう抵抗は頑張らないと、と思う。


【5.釣り】
泊まっているホテルの裏が岸壁になっている。そこで投げ釣りをホテル滞在客やここを穴場と釣り好きの地元の男達が真剣に竿先をみつめている。
 これに刺戟されて、私もデンパサールで釣竿やリールを買い、釣り道具を一式揃えた。餌やさんまであるという。
 10年前には海辺で釣りをしているのは漁師であり、道具は網か、竹竿だったし、上半身も裸であった。岸壁での釣りはアジ釣りのようにリールのないもので、餌はどこかに自分で採りにいくのだった。
 様変わりしたものである。ここに来る釣り人は竿を数本もち、竿を納めるバッグまで持っている。バッグとまではいかないまでも竿とリールは常識のようだ。
 釣りの仕掛けを見ると、これがおもしろい。投げ釣りで使うロケット型の錘はこのバリにはないらしい。三つ又のサルカンをつけて、一つの穴から錘を垂らし、もうひとつの穴からハリスを作っている。もちろんもうひとつの穴はミチイトに繋がっている。
 ロケット型の錘のほうがよく飛ぶし、砂地の海底での砂のかき方も砂をかき起してよいと思える。こちらの錘は店で売っているかぎりでは、球のものばかりで、これではコロコロと海底をころがるだろうと思う。ハリスをみると、だいたい50cmほどにしてある。
 比較は好きではないが、許していただければ、ハリスは砂地をかく場合、ハリが2本から3本つけ、ハリスの長さは1mほどあるほうが餌の動きがよりしなやかで自然に近いように思える。
 オーストラリアからきたらしい二人の男の釣りのスタイルも見た。地元の人たちは餌はゴカイである。オーストラリア人たちの餌はビンに入っていてゴカイの色、形をし、ゴカイの臭いがする擬似の餌である。これには驚いた。さらに先進的である。
 こうなったら、結末を見届けないと思い、じっと釣りの風景をあっしこっちと首を動かしてみていた。帽子を被っているだけで暑い。それを我慢しながら数本の釣り竿の先を見る。自分も釣りをしているように思える。
 するとオーストラリア人のほうにアタリがあり、チヌのような形をした白い鯛が上がってきた。
 
 エビのほうが餌としてはよいはずである。現にエビを使っている人もいる。 しかしこの餌は小さなガラス瓶に入っているだけで、便利である。エビやゴカイとの効果のほどをこれから地元の人も量るだろう。


 このホテルも貸し釣竿や餌などを売ればよいではないか、と思い、明日はぜひ自分もやってみようと思った。何も考えないで竿先をみつめる快感はたまらない。


【6.休日】
昨晩は夜半激しい雨が降った。朝は光輝くような晴天になり、夕方また雨がそぼ降った。そしてまた夜の十一時を過ぎると強い雨が降った。
 なんでも今日は春節で、明日はイスラムの日(何かわからない)ということで事務職員は休日である。
 ということで事務職員は憧れの的である。銀行、大手のホテル、大手の企業の事務職員は休みも優遇されており、週休2日制でもある。バリ島はバリ独自の儀式も多いから、国民の休日以外でも休む。
 こういうことは「僕のバリ日記」で何度か書いたことだから言及はしない。
 
 ホテルに中国系の飾り物がられているので、何だろうと不思議に思った。生け花なのであるがさらに人口的な装飾がしてある。中華系のものであることがわかった。中華系のものというのは妙に色が派手やかである。
 よく似た生け花を今日、何度か見た。それで合点がいき、今日は国民に休日で、春節なんだと、思いだした。


 インドネシアはイスラム教徒、ヒンズー教徒、仏教徒、キリスト教徒、で成る島国国家である。イスラム教とキリスト教は互いによく似た宗教だ。ヒンズー教と仏教もよく似ている。まあ、だいたいが宗教というのはよく似ているものだ。
 宗教が国家である時代が長くあった。今はどうか。ブッシュ大統領を見ればわかる。一見政治権力と宗教は分離しているように思えるが、アメリカの場合は民主主義を標榜し、民主的な選挙で大統領が選ばれているが、彼が福音主義者たちの支持で当選し、ネオコンと呼ばれる勢力を代表している風である。政治に宗教が入っているというのはこういうことを言う。
 平然と「神のご加護あれ」と妄想のようなことを演説で言う。
 宗教が目指すものはやはりとりあえずは国家であろうと思う。その宗教に戒律や考え方を国家の基本的な方針としたいだろう。
 
 話が変わって・・・、
 星占術は宗教かといえば宗教ではない。これは宿命論者である。星の配置で未来を予測し、災いを避けようとする。これを日々の楽しみと気楽に考える人が圧倒的であるが、本気で信じる人もいる。科学的に信用しようとしている人もいる。宗教じみているのだが、教祖様がいるわけでもなく、教典のようなものがあるわけではない。そこにはホロスコープ表があるだけであり、過去からの体験が積み重なった星星への性格付けがあるだけである。
 星の科学は仏教やヒンズー教にも大きな影響を及ぼしているように思える。
七という数字を重んじるのも、七の倍数で四十九日があることも星の配置と関係したのだろう。
 気の年輪も採集的には週輪に分けらるという。人間の歯もそのようである。
 なぜ七なのか。こういう問題が解けない限り、いつまでもそれが意味あることのように人々は伝播する。


 働く人々は休みの口実がなんであってもよいようだ。私もそうである。休みが多くなればなるほど、やっぱり休息ができるし、あくせくすることもなくなる。ゆったりした生活時間をもつことができる。謎解きは先進国の科学者にまかせて、難しいことは考えないで時を過ごす。
 バリ島は2日間は20%ほどの人が休んでいる。観光で生きると決めた時からサービス産業の人は祭日をあきらめた。まとまって休みをとって旅行するという経済状態ではまだない。
 ただ気楽になるだけである。熱帯で生きる人はこの気楽な時間が日本人異常に必要なのだ。ここにいるだけでエネルギーがいる。仏教であれ、イスラム教であれ、休みたい、ああ休みたい、というのが普通に生きる人々の気持である。