Part1

【1】
 被害妄想のようなものが棲みついている。それはトンマな話で、どう語ればよいのか。やはり被害妄想だという以外にない。
まず、バリ島に到着して入管に入る。何をいちゃもんをつけられるのか、と心配になる。前回、そうだった。原因は自分の手続きミスにあったのだが、入管の事務所で、「日本に帰りなさい。あなたは12月26日までにバリに入国しなければならないのに、もうその期限から40日が経っている。」と言われて往生したのだった。結局、入管に寄付をしてバリ島に入れてもらったのだった。もうミスはないはずなのに、また僕の気づかないところを指摘されるのではないか。立派な被害妄想である。
 無事入管は通った。次は税関である。前回、前々回とウィスキーを没収されている。煙草も没収されている。今回は胸を張って、ウィスキーは一本、煙草はワンカートン。誰からも文句を言われる筋合いはないのだが、ライターを2個持っているので、そこに文句をつけられるのではないかと思ってしまった。これが妄想である。ライターに文句を言うのは日本の出国審査の時で、1個を荷物の中に入れてしまい、それは自分の手を離れ、飛行機の中に行ってしまった。出国ゲートでしばし時間があったので、煙草でも吸おうと思い、喫煙室に入ると、ライターがない。しまった、あの荷物の中に入れてしまったんだと思い、10メートルそばにある店に入ってライターを買ってしまった。これがいけなかった。しかし、実際は一個の超過ライターを見破られることなく、税関を通過することができた。
ほっとして、気も大きくなって、空港の両替屋で10万円両替しようかと思っていたところ、急に気持ちを変え、町の両替屋で円をルピアに替えるのも面倒なことだと思い、有り金全部を替える気になった。なんとなくそう決心した。
 ところが、僕は5時に迎えを頼んである。まだ20分もある。空港の出口を出ると、急に昔の事件が甦ってきた。
 リスボンからパリに入った。パリの空港でメトロの時刻表を1分ほど見ていた。そばには、自分の全荷物を載せたカートがあった。時刻表を見終えてカートに手をやり、目をやると、荷物がないのだった。まばたきを何度もした。「狐につままれた」というような感じだった。多分1分ほどだったと思う。犯人グループはそう遠くないと思い、いきなり空港ビルの前の工事現場のバラックに突進した。裏側を見た。犯人はいない。また次のバラックへと走り、ぼくの荷物を持っていそいそと走っている姿を思い浮かべた。でもいない。あっちこっち走り回り、結局これはもう徒労だとわかった。お金、航空チケット、パスポート、高島屋で買ったばかりのお気に入りのショルダーバッグ。全部なくなった。空港の警察に行き、事情を説明し、惨めな思いで友人の迎えを待った。友人の電話番号を書いた手帳も盗まれていたが、名前を言えばコンピュータですぐに連絡先が出てくるシステムには驚いたのだった。
 そういう記憶がある。
 だからバリの空港で待つ間、気が気でない。荷物がふとブラックマジックで消えてしまうのではないかと思い、何度も荷物を見、それでも気持ちが納得できず、地面に置くのをやめて、手で持っていることにした。手から荷物がなくなるのではないかとまで思う。
 両替などするのではなかったと反省したが、円もルピアもお金はお金で関係ない、ということまですっかり忘れ、被害妄想のとりこになっている。近くを通る目つきの怪しい男、立ったままじっと僕の方を観察しているような怪しい男。誰を見ても怪しく思えてくる。
 空港の入管前から迎えのスタッフたちと会うまでの40分間、僕は全くの「病気」の世界に知らぬ間にいたのだった。あっそうかあ、病気って突然なるのではなく徐々に知らぬ間になっていくものなんだ、と思っているのだけれども、迎えのスタッフと顔を合わせるまでは、正常になれないのである。
 バリ島レギャンに無事到着。再び開けっぴろげな生活に入った。


【2】
東京から一人、大阪から一人、名古屋から一人、紀州から一人、20代から30代の女性がバリ式エステを習いに来ている。女性たちの個性は当然それぞれである。思いもまたそれぞれであるはずである。
 何につき動かされてはるばるバリ島まで来たのか。その個々の思いはわからないから、個々に共通するであろう社会背景を考えてみたい。
 現在の日本は1970年くらいから、戦後の復興が最盛期になり、1980年代と続いて、バブル期に突入したのだと思う。実際その時期に青年期、壮年期であった人は、おそらく無我夢中、世の変化など客観的にとらえることなどできず、流れのままに、経済の成長とどんづまりを体験しているのだと思う。
 同じような進展具合で、労働が不可解なものになっていった。育てた米や野菜、釣った魚、それが売れて自分の労働の価値がはっきりしていた時代があった。工場へ行って物をいくつ作るかで自分の労働の価値が計れる時代があった。
 社会は新しい段階に入った。「わけのわからない、自分の価値がどこにあるのかもわからない浮遊した人間」が圧倒的に多くなった社会になったのである。ざっと産業別就業人数の割合と事務職の割合から推測すれば、80%くらいが、浮遊する層に入ると思う。浮遊する層をもっと厳密に言えば、
1)いつでも労働の交替がきく。
2) 自分がお金を生み出しているという実感がない。
3)自分の所属する会社なり団体が本当に社会にとって必要なのかわかりにくい。
4)実体が見えないものと格闘している。
5)物作りよりも人間関係のバランスの方に神経を使う。
こういう仕事が80%の人々を占有する社会である。社会が知らぬ間にと言おうか、徐々に大変化をしてしまったと僕は考える。
 自分は何のために働いているのか不可解であり、自分が社会に出ないでいても両親が貯えたお金で暮らせていけたりする社会はありきたりな言葉で言えば、不安神経症の社会であり、その不安神経症模様が当たり前となって「正常」と思われるような社会である。潔癖症を当然のことと思い、それがスタンダードになる、と言えばよいだろうか。神経症が蔓延している人々の中で、癒されたい、しばらくでも安らぎ、気持ちのよい時間を過ごしたい。肌が美しくなり、シミやシワがないようにしたいと思い、働いて得たお金の一部を「美しさや安らぎ」の時間に消費したいと思うようになってきた。
 日本の経済が本当に上向きになり始めたのだったら、ますます多くの女性たちがエステに向かうのだろうと思う。
 エステで働く側からしてみれば、人に直接手を触れて、気持ちよかった、美しくなったような気がする、と喜んでもらえれば、労働としてはわかりやすいものとなる。
 自分の身体を使って、料理人を目指したり、エステテシャンを目指す人が増えているのは、働く充実感が得られやすいからである。そして80年代以降の成熟した時代に生まれた若い人々は、おそらく無意識の中で、根もないような浮遊感から身体に技術を身につけ、根をしっかりとおろしたいと思っているのではないか、と想像するのである。


【3.幻という現実】
 バリ島は昼の光と夜の闇がはっきりしている。闇は漆黒の闇である。人口の光は繁華街、主要道路、林の居住地域にあるくらいで、あとは色濃い闇である。
 レアック(呪術師・魔術師と言ってもよいと思う)は闇の中で跳梁する。いや跳梁すると言われている。
 僕のような者は、昼でも跳梁すればいいじゃないかと思うのだが、それはロンタル文書にきちんと書かれていて、闇でないといけないらしい。
 闇は汚いところも、細部も消してしまうから、僕は「バカな奴らが・・・」と本当に思ってしまう。しかしリアックのようなものを好む人が多いのも事実で、好む人のエネルギーには圧倒されてしまう。
 
 ある日雅子は、タイのチェンマイに向かう道で、車をすべらせて道路から崖下に転落した。外国好きの好奇心いっぱいの雅子だった。崖下でひとり、あの世とこの世の狭間で虫の息だった。光があふれ、花が乱舞し、暗闇が訪れ、また光があふれ花畑が見えた。吸い込まれていく快感があったし、むこう側から手招きする人たちも多くいた。生還した時、雅子は黄泉の世界を見たのだと思った。入院生活を送っている間、雅子は「本当は死んでいたのかも知れない。運よく残された生の時間を、より一生懸命に、より人のため、自分のために生きようと思った。同時に自分はたいへんな人間の持つ生の時間では経験できないことを体験したのだ。」と思った。するとサイババのような神にも近い超能力者というのは、いつでも死の世界と生の世界を往復できて、彼の発生源からの記憶が瞬時に再現できたり、未来をあてたりするのだと思い、強く心惹かれるようになった。
 バリ島によく行くようになったが、心は原色の色彩とその背景にある深い闇の中で、憑依されて、現実と思える不思議な世界を見せてくれる特異な霊能者に会いたい、会って生きながらもあの時のような臨死の体験がしたいと思うのだった。
 手から金の粉があふれ出るような不思議な体験をすればするほど、そうして、言語が不確かな霊能者が見せる術を見れば見るほど、人間にはこういう世界を知ることが大切のなではないかと思えるようになった。
 人間には確かに計り知れない能力がある、と雅子は思ったが、それによってサイババに帰依するとか何かの宗教に入ってしまうというものでもなく、自分だけの宗教として世のため、人のためになると思えること、ひいては自分もやりがいがあったな、と思えることに精一杯活動した。雅子はバリの光の闇が大好きである。テレビもない安ホテルの庭にいる時、星々は自分目がけて降り注ぎ、妖しげな炎が揺らめき漂うと、昼間会った霊能者が忽然と雅子の前に現れるのであった。


 こういう話を「マジに本当なんですよう。」と言われてもにわかには信じがたいのであるが、イルージョンも厳然とした自分の脳の昇華作用だと思えば、わかってあげたい気分にもなる。しかし僕自身は被害妄想はあったとしても、幻を現実だと思ったことがない。


【4】
 ギターがチャカチャカチャカチャカと四拍子を刻み、そこに別のアコースティックギターがメロディをかぶせてくる。と思えばトランペットの音が挿入され、豊かな音の世界に入っていく。8年前に偶然リスボンのアルファーマの店で見つけたセサリア・エボラの「Marazul」は珠玉の名曲だと思う。彼女の声を地の声と言ってもよいと思う。以後、セサリアのような歌手はいないものかと思っていたら、偶然テレビの「ニュース23」で知った。ギリシャのアグネス・バルツァ、メッゾソプラノ歌手である。オペラを歌う彼女は珍しくギリシャの流行歌を歌っている。この声を天の声と言ってよいような気がする。
 ホテルの部屋で二人の歌声を交互に聞いている。
 自分がとても好きだったと思う歌を聞いていると、そこに閉じこもっていたいと思ってくる。しかし夜が深まれば明日のために眠ることが必要になり、明日は明日で元気を出そうと思って、ひとり自分を励ます。と言って昼日中は呑気に、白昼夢のようにして仕事をしている。
 ふと考える。キリスト教の天国や仏教の浄土なんてのは嘘であり抽象的表現で、言葉の比喩ではないかと。この比喩に吸い込まれている人間が何億人といる。
 どう考えても天国や浄土は嘘っぽい。死んだらどうなるか。誰も見たことはないけれど、死後の世界を見たという臨死体験者は一様に同じことを言う。そういう体験を現実に脳の中でしたのだろう。しかしそれでもって死後の世界の存在を言うのは軽薄である。死ねば終わりである。それだけのことでありそれ以上はない。
 今ここでセサリアの歌を聞きアグネス・バルファを聞いているのも終わりである。この至福の一瞬が天国や浄土でお花畑やにこやかな昔なじみの人に変わったとしたら、それこそ僕は不幸であると考える。
 僕の遺伝子、その中に含む過去の記憶は、受胎した時点で次世代に引き継がれている。子供も作らなくなった以降の人生というのは、過去を振り返っても、未来を見つめても孤独な思いを抱えたまま生きざるを得ない。
 呪術を習い、ヨガやどんな宗教的な修行をしても比喩の世界に入っていくだけのことで、その意味で僕はあらゆる宗教的なもの、あらゆる<信>に懐疑の目を向けている。
 と言って宗教を全否定うぃているわけではない。必要な人もいるのだと思う。生きることはあまりにも過酷であることがある。
 心身に訪れる病気。老い始めると病気は僕らにつきまとってくる。病気になれば医師は必要だが、介護人も必要になるだろうが、自分で病気を背負い、自分で病気と親和感をもって、なおさら生きる、思えば生き、これでだめだと思えば死ねばいいのである。
 これが普通じゃないの、と思う。


【5.バンリのバリアン】
 難治性の脳波異常で日本の病院から「すみません、治せません」と謝罪されたという母親に会った。生後一年程経って突然発作が起こり、バリ島の病院に行ったけれど手に負えなくなり、一時日本に帰国した。日本滞在中も発作は連続して起こり、ビザのこともあるし、不安な思いでバリ島に帰った。
 帰ってから、バリ人のご主人側はあらゆる情報を手に入れて、ついにバンリのバリアンともリアックとも区別がつかないような人のところへ行ったのである。母親が病状を述べるまでもなく彼は察知し、何やら秘儀めいたことをしたらしい。すると発作はこの四ヶ月で一回きりだと言う。二年経っても歩くことができず、バリアンに言わせると「骨を形成してゆくエネルギーが全くないから、知り合いの医者にエネルギーを注入してもらいなさい。」と言ったという。母親もインドネシア語がはっきりとわかるわけでもなく、父親も日本語がはっきりしないから、漠然としか理解していないように見える。
 とにかく子供の発作が峠を越して一安心している。
 こういう事象をどう解釈したらいいのだろう。
 これを偶然だとも言えるはずがない。科学ではまだ解明されていない未知の分野があるということだ。ある特別な能力をもつ人がいて、子供の脳かどこかを見て、発作がおさまるようにできるのである。細胞のレベルに働きかけるのか、電気的なものに働きかけるのかわからないが、そういう技術をもっているのだろう。
 するとその超能力者は癌まで治せるのかと言ったら、疑問になる。腰痛はどうかと言えば、また違う分野なのかも知れない。
 バンリのバリアンで治ったのだから、その種のことはみんな信じようと思うかも知れないが、それはちょっと違うような気がする。なぜなら、バリ島には癌で死ぬ人も先進国並みに多いからだ。彼は脳波を調整できる能力をもっているのかも知れない。まだ未解明の事象である。科学はこういう点もいずれ明らかにしていくのであろう。
 母親はやせ細り、顔に吹き出物が出て、自分のことはかまっておれないという様子だった。それが当然だが健康でいてもらいたいと思う。
 言い忘れたが、そのバリアンは最初、「この子に悪霊がいる。」と言ったそうである。発作を悪霊と呼ぶのか、悪霊が発作を呼び起こすのか、その悪霊は何を意味するのか、聞いても両親は答えられなかった。バリアンは比喩を用いたのだと思うが、何の比喩なのかちょっと見当がつかない。積もり積もった遺伝子の流れなのか、祟りに類するものなのかわからない。こういう点に不満が残る。言うのは易し、解明は難し、である。


【6.観阿弥のこと】
 観阿弥が述べ、世阿弥が編集したと言われる「花伝書」を読んでいる。講談社文庫で川瀬一馬校注、現代語訳つきである。
 630年程前の鎌倉時代末期に書かれたものである。不思議なもので世阿弥が言っていることは今も十分に読めて、古くささのひとつもない。こんな文を書きたいものだと憧れる。
 申楽の芸の稽古において、7歳(満6歳)、17-8歳、24−5歳、34-5歳、44-5歳、50有余に分けてそれぞれの年齢の時代の稽古のあり方、注意すべき点を鋭く観察分析して述べている。
例えば、17-8歳より、
 
 この頃はまたよほど気をつけなければいけない時期で、稽古は多くしないがよい。なぜかというと、まず声変わりがしたのだから、声の美しさという第一の花は無くなってしまった。身体つきも腰がひょろついて来るので、風情がなくなって、前の時期が声も盛りで花やかに、らくであったのに引き換えて、やり方ががらりと変わってしまうから、がっかりするのだ。


 とある。人間が思春期に入り、身体つきがゴツゴツと変わっていく時期、稽古は多くするなと断言している。声変わりの時期の過ごし方が的確に書いてある。芸を大事にするからという背後に観阿弥の美意識が見える。
 そしてまた、現在でも声を大事にした人だけが声を武器とした仕事をするのである。こういうことを心得ている者と、心得なしにいる者とでは、子の世代に違いが現れる。通る声が生まれる。通る声が生まれたその声はよりよく人に届く。声に艶があれば、身体にも心にも艶がある、という風になる。
 630年前の人が述べたことをこの2004年の5月に読んでいて、観阿弥が述べている意識に入っていく。そこにこの人がいるような気がする。過去から語られているような気がしないのである。たいへんなものだ。
 バリ島に能の原型のようなものがある。申楽は遠くインドの方から来たものと、観阿弥は推測しているから当時舞いというのは外国から来たものであったのだろう。バリ島もインドの影響を強く受けている。バリ島で演じられる仮面劇は身体表現や内面表現も稚拙で、まだ研ぎ澄まされたものにもなっていないし、美的な構成もなく、衣装の稚拙さも目だってしまう。とても見れた者でもないが、仮面の表情だけは変化する恐ろしさがある。加えてバリ島には闇が色濃い。
 申楽も闇の色濃い時代のものである。衣装は微細に織り込まれ、舞台の様式は一定化されている。舞いの動きは人間の心の襞のように微妙である。謡いが重なり演者たちの空間にいわゆる幽玄が現れる。ひとつの美意識である。
 何事も、どの世界にもこういう観阿弥のような人がいるのだろう。身が縮む思いである。このような人がいて猿楽は芸術の域に達し、バリの仮面劇は停滞している。
 バリ島のレゴンダンスが舞踊の中でも抜きんでているのは恐らくバリ島に優れた観阿弥のような人がいたのだろう。


【7.上野健一のこと】
 上野健一は生涯バリ島に住もうと決心したのはレストランでウェートレスとしていたウィデアーニという女性と数回話を交わしたからだった。
 ウィデアーニは容姿端麗でもなく、顔もごく平凡でありどこにでもいそうな女性だった。バリに来るたびにそのレストランを訪れ、冗談混じりに、恋人はいるのかとか、異教徒とのものとは結婚するのか、など話をしているうちに上野健一は、ウィデアーニが時に発するその声に魅了されてしまった。囁くような声なのであるが、甘くベッドで漏らすような声、二重声音なのだろうか、二つの音程が同時に震えるような声。ウィデアーニは自分の声の特質には気がついていなかった。しかし店を訪れる客にウィデアーニのファンが多いことの理由をレストランの日本人の女将は知っていた。ウィデアーニは客を集める不思議な力があるとは思っていたが、それが彼女の持つ魔性の声だということに気づいたのは、健一がバリ住まいを決心した頃である。彼女に辞められたら商売に響く。ずっと働いてもらいたい娘だった。聡明さがあるわけでもない。しかし男がついて離れない。ウィデアーニは一度日本人男性から泣いて結婚を乞われたことがあった。その時はその男性もアルコールが入っていたから大げさになったのだろうが、健一はわかるような気がした。ウィデアーニを欲しかったに違いないと思った。
 ぼやぼやしていてはいけないと思い、ウィデアーニにバリで会社を作るから来ないか、と誘った。本当?と笑っただけで、会社に行きたいとは言わなかった。
 上野健一は自動車板金工として43歳になるまで働いてきた。バリ島に足を運ぶたびに、バリ島で何かやれるのではないかと思うようになった。これまで二度ほど結婚寸前まで付き合った女性はいたが、健一は独り身の気楽さから二人の生活に足を踏み入れることがなんとなくできず、別れる始末となり、以後そういう恋愛もなく一人自由に海外旅行などしていたのだった。
 耳の鼓膜に神経に快感のように響く声の音。心地よい音があるように心地よい声があるものだと思う。ウィデアーニの声は会話の状況で信号が脳から伝わり、内臓を通って浄化されてからから口で洩れるように発せられるものだ。この女はセックスの時にはどんな声を出すのだろうか、と一人部屋の中で想像し、想像する度にその声を耳や皮膚に浴びたいと思い、彼女を手に入れる方法はないものかと考えた。安い給料で働いている。バリで事業を起こして、よい給料を払い、スタッフにするのが、とりあえずの方法だと考えたのである。
 これまで貯めたお金で自動車板金屋を作り、精巧な板金技術をバリ人に教える。決心した時にバリ島で爆弾テロ事件が起きた。友人や知り合いはこんな時にバリに行くものではないだろう、と言って止めたが、健一はもう抑制がきかなかった。バリ島の経済がテロ以前の半分にまで落ち込んだ。会社を設立し、設備品を日本から運び、バラックのような工場を作り、スタッフを雇い、忙しい日々が続いた。するとある日ウィデアーニから電話がかかり、レストランが閉じるかもしれない、雇ってもらえないか、と言った。懇願する声は耳に息をされるようで、夢は実現するのだ、と思ったほどたった。
 また新しいワクワクするような日々が続いた。ウィデアーニは経理の仕事をする。二回に一回ほどとびっきり上等の声を出す。その声が出ると嬉しくて拍手までしてしまう。
 板金屋にはお金持ちの客がボツポツ来るぐらいで、この経済状況では外側を修理するものなどはいなかった。ウィデアーニと仕事ができることで、いつか良い日が来ると思い耐え忍び続けた。冗談っぽく、オレと結婚でもするか?と言ったことがある。ヒンズー教の人じゃないとだめだわ、とウィデアーニは言う。両親が反対するから、と言う。健一は自分の胸のうちをウィデアーニに冗談っぽく間接的にしか言えなかった。
 ある日警察官が二人やってきた。ビザを見せろ、と言う。ソシアルビザで来ていた。まだ労働許可証を取得しておらず、工場もバリ人名義を借りていた。チクられたのだった。レストランの女将かなと思った。結論としてはウィデアーニを横取りしてしまった。レストランは閉鎖せず、なんとか耐え忍んでいただけに、ウィデアーニがいなくなったことを悔しがっているという話を風の便りで聞いたことがあった。
 健一は留置所で、ウィデアーニや名義上の社長らが尽力してなんとか警察と話をつけてくれるのではないかと期待したが、何の音沙汰もないまま、二日後国外退去となった。警察官付き添いで自分の住まいの荷物を整理し、残っているお金もなく、航空チケットの代金も日本に到着してから84歳の父親に払ってもらったのである。