No.15(2002/09/06〜09/21)

2002年9月6日
またまた大失敗

 準備万端。これでよしと出発の荷物にロックをした。そのキーを手荷物に入れておこうとポイッと投げた。一秒、二秒は憶えていた。でも十秒後にはすっかり放ったことを忘れていた。
駅のホームでふと気がついた。妻に電話をした。出ない。またした。今後は出た。事情の説明をしているうちに列車が来た。
 スーツケースの鍵は、磁石になっていて、どうして開けたらいいよいのかわからない。とんだ出発だった。車で追いかけてもらうには南紀特急の方がずっと早い。松阪駅で僕が降りそこで一時間程待って、妻が来るのを待つという方法も考えた。妻に申し訳ないとも思うし、乗り換え電車が近鉄なので、泊まるホテルとは反対方向の出口である。
 結局、車内から妻にメールをうった。「なんとかあけてみる。空港であけろといわれたら、金槌持ってきてくれと言って、壊す。」と書いた。


 またやってしまった。
 パスポートを忘れたことがあった。
 シアトルで日本行きの飛行機にあと一歩で乗り遅れたことがあった。大金を二度盗まれた。全荷物をバリの空港で盗まれたことがあった。ユーラシア大陸の果てロカ岬で、その記念写真と証明書をもらい、カメラと共にタクシーの中に置き忘れた。この前もバリ島でタクシーにデジタルカメラを忘れた。


 なぜこうもぼんやりしているのだろう。
 全くの方向音痴だし、人の名前や曲の名前はおぼえられない。通った道もおぼえていない。病気の一種か性格のものなのか。自分にげんなりする。
 駅には十分な時間をとっていれば気がついても鍵を持ってきてもらえるかも知れないのだ。


 このことを分析してみると、この種の僕のミス・事件は、人が間近にいる時起こることが多い。
 タクシーに乗る。停まるところを言わなくちゃならない。チップをいくらあげるかも考えなくてはならない。すると脇に置いてあったカメラなどを忘れる。じゃあなぜカメラと証明書などを脇に置くのか。カバンに入れればいいではないか。なぜかその時カバンを持っていないのだ。


 今日の鍵の時も、妻が僕の準備を見ていた。すると妻が声をかける。「もう行かなくちゃ。」「まだ時間はたっぷりあるよ。」とこういう会話をしている間に鍵のことを忘れてしまう。
 うーん。僕は今日、いくつかの決断をし、これから20日間程留守をするために留守の間のことを、つまり仕事の段取りのこと、お金のこと、すべて完了させて荷物の準備に入ったのだった。そして発つ瞬間に大ポカをしてしまった。バリ島に着いたらスーツケースを壊すことになる。失敗ばかりしている男だと思われるだろう。
 まあよいか。


 こういう風に今回の渡バリは始まった。極めて個人的で社会などとは何の関係もない。
 ただ思ったことは、
・ややこしいものは持つな
・自分を縛るものはなるべく持つな
ということである。自分の名前にさえ縛られるのだからあんまり自分を縛るものを持ってはいけないな、と思った。さあ忘れて、バリを楽しもう、と気分を入れ替える。明日の朝は目覚しをかけた。これも縛るものだなあ、と思いながらセットしたのだった。
 もうビールを飲んでいて心地よい気分で、テレビをチラチラ見ながら今回のバリ日記は始まった。今度のバリ日記は、バリヒンズーを腑分けするのである。出来る限りやってみたい。ご期待を。


2002年9月8日
バリの占い 1

  飛行機の中では半袖だったら凍死しそうなくらいだ。これはこの6年変らない。
 なぜこんなに機内は寒いのか不思議である。さらに不思議なのは、それでも半袖でいる若い人たちである。ノースリーブの女性までいる。
 僕の体がエネルギーに満ちあふれていないのか、弱っているのか、彼らが異常なのか。だからキャビンスタッフに注文をつけるのを臆するのである。
 経験のない老人だったら必ず、体調が悪くなると思う。
 ところがキャビンスタッフはよく働くから、寒さを感じないのかもしれない。
 どういう理由なのだろう。日本の20年前はどの店も凍るほどクーラーがガンガンきいていた。客に対して無神経で、ガンガン冷房を効かせればよいみたいだった。国鉄もそうだった。今のJRはほどほどである。近鉄が今も20年前と同じである。客のひとり一人のことを考えずに、効かしゃあ文句ないだろう、という感じである。


 バリ島は最高気温28度、最低気温23度。日本の尾鷲の方がじめじめ暑い。
 空港ではイダとアキちゃんが迎えてくれた。
 今回の渡バリの目的は通常の仕事の他にバリ・ヒンズーといわれる宗教の中で、インドからのヒンズー教と、ヒンズー教がバリに入ってくる以前のアミニズム的なものを腑分けしたいという思いがある。きちんとできないかもしれないが、これはヒンズー教から来たもので、これはヒンズー以前からあった考え方だと、だいたいわかればよい。
 学者ではないのだから。すると、バリ人の意識の層が見えてくるに違いないと思う。
 と言って、僕はバリ人を主に考えるというのではない。ただ好奇心である。。そして、その好奇心は最近、青山圭秀の「アガスティアの葉」と飛行機の中で「理性のゆらぎ」を読んだことが起因している。そして、人間を考えてみたいという欲求に起因している。僕は彼とは違う見解を持っている。奇跡やよくあったている予言はあるかな、と思っているがその受け止め方が違う。彼は奇跡を起こすサイババに圧倒されている。僕はサイババの奇跡はありうる「病気」だと思っている。
 そういうことに触発されて、思ってみれば、「バリ人がわかった」などと言っていた自分は、「バリ人とビジネスをする心得」みたいなのがだいたいわかったということであって、バリの人々の奥底に沈殿する意識層をクリアにしているわけではなkった。ゴチャゴチャと入り混じった像でとらえていた。
 それでも差し支えはないのだが、欲を言えば、もっとバリ人の意識を体験したいと思ったのである。
 グランブルーに着くと、早速僕は聞いた。
 「僕の『カルマ』過去、未来がわかる人はいるかな?」
シェフのバワが、
 「生年月日までもわかる人を知っています。」
と答えた。
 「生年月日がわかるということは、僕が死ぬ日もわかるということだよね。」
と僕が言うと、
 「それはわかっていても、言わないかもしれませんが。ミスターモトキはそういうことには興味がないのではないか、と思っていました。」
とバワは言った。
 「いや、これは信じる、信じないの話ではないんだ。多分バワは根っからそれを信じている。否定のしようがない。僕はすべて僕について語ってもらったうえで、胎児の以前、精子や卵子であった様々な段階のことを考えてみたいんだ。考える手掛かりだよ。」
 過去の記憶を連綿と持ちつづけている人がいる可能性はある。人類が地球上のあちこちで誕生し始めた頃から精子や卵子、細胞の一つにすべての見聞きしたことを一体化して閉じ込められており、それを自由自在に取り出せる人というのはいるかも知れないという可能性である。
 そう思うようになったのは、サバン症候群の人たちをテレビで見たからだ。算数は全くできないのに、過去の年月日の曜日はことごとく言い当てられる。習ったこともないのに、一度聞いた音楽をピアノで弾くことができる。こういう人がいる。
 もしかしたら僕らの脳は、人類の発生から今日までの情報を本当はすべてインプットしているのではないか。本当は今生きるのに必要な分しか情報を取り出せないように仕組まれているのではないか。そう考えたからである。  実は、青山圭秀が体と遊離する「脳死体験」や「ヨガ修業」で得られる何かは説明のつかないものではなくて、また身体と魂に分けて考えようとしなくてもよいと思われる。目に見えないが、羊水の中でまどろんでいた頃、聴覚が機能して、そこから脳に映像を映し出したのではないか、ということと受精してから人間らしくなるまでの間に、鳥であった時期があったはずで、鳥の眼と聴覚が一致したからではないのか、と僕は考えているのである。


 大雑把な話だけれど、僕のイメージのしかたからいくと、サイババや過去や現在のことがわかる人が地球上に何人かいてもおかしくはない。
 ただ問題は「未来」である。
 しかし未来をあてることはさほど難しくないように思われる。過去と現在の姿がわかれば、未来は顔の表情や行動、物や人への反応のしかた、でだいたいわかるに違いない。
 バワが
 「明日はサラスワティの最後の日だから、日が良いので明日行ってみますか。」
と言った。
 「その人はバリアンなの?」
と僕は返すと
 「わたしはバリアンについては50%ほどしか信じていません。うさんくさいバリアンもいます。わたしがお連れするのはプダンダです。ヒンズーの。」
 来た、来た、来た、と思った。
 そうかバリアンは一応、バワの中ではヒンズー教とは違ったところにいるものなのだ。ヒンズー以前の村落共同体には呪術師がいたかも知れない。プダンダはブラーフマナ(僧侶階級)の僧侶を言う。プダンダの中では、単に吉凶を告げたり、儀式を司る人もいるが、特別な修業、訓練を受けたプダンダがいるらしい。


 「朝の方がいいでしょう。ゆっくり話が聞けますから。」
 「智美さんは明日来るよね。通訳が必要だから。」
 「わたしも行きますか。」
 「いいよ。」


 バワや智美さんの前で、僕は自分の過去をさらしてしまうかもしれない。ちょっと困ったな、と思ったが、もう「いいよ。」と言ってしまった。
 明日行くことにする。


2002年9月9日
バリの占い 2

 バンリにあるプダンダの家は人里離れたところにある。クタから車で約一時間半。日本の10月の晴れた秋の日のように涼しい。湿気がない。この辺は水が不足しているそうである。バリ島は肥沃な大地をもつところも、水がないために、住むのに厳しいところもある。
 前もって僕らが行くことをバワが連絡してあったのか、プダンダは快く迎えてくれた。バリコーヒーとお菓子でおもてなしを受けた。それが終わらないと、始まらないとバワは言う。
 Ida Bagusとは、ブラーフマナ層(僧侶の階級)の称号であるが、最高司祭となるとIda Pedanda となるのだそうだ。どのプダンダも、髪を頭頂で束ねて花で留めている。そして顔は穏やかである。「ハンニバル」のレクター博士のような顔つきはしていない。
 バワが言うには、このpedandaは病気を治すのだそうだ。脳梗塞の人も、ここに来て治ったとか、いろいろ実績をバワは挙げた。つまりこのプダンダはバリアンも兼ねているのである。バワは、バリアンなら50%信じると言ったが、この人はヒンズーの最高司祭のプダンダであるから、バリアンとしての病気を治す役割を果たしていても信じられる、と言うのである。バワはIda Bagusだから身びいきがあるかも知れない。
 僕は病気をみてもらいたいと思って来たのではない。僕の過去、現在、未来を当ててもらうために来たのである。
 コーヒーとお菓子をいただきながらも、プダンダがそばに座っているので僕は話しかける。
 アーユルベーダでは身につける装身具は重要である。特に指輪やブレスレット、ネックレスもベーダの科学的根拠をもっている。
 「指輪を三つしていますが、何か意味があるのですか?」
 「ウォー、意味があるんじゃよ。生年月日などから調べて、その人に合うものを決める。ほとんどのバリ人はそうじゃ。ファッションでする人もいるがの。」
 アーユルベーダは占星学で指輪やブレスレットを割り出す。これと関係しているのだろうか。
 「何に基づいて決められているのですか。」
と聞くと、
 「神の声だ。」
と答えた。
 「神の声?神の声を誰かが書き写すのですか。」
 「そうじゃ。ヨギが神の声を聞き、書き写すのじゃ。」
 「ヨギ?」
 「霊性を高め、神の近くにいける人じゃよ。」
 「ヨーガなどで修練している人ですか。」
 「そうじゃ。」  こんな話をしている間に、いつ始まりともなく、始まったのだった。
 「今日、来させていただいたのは、僕のカルマを教えていただければと思ったからです。僕の過去、現在、そして未来を教えていただきたい。」
 「うん。なるほど。生年月日、その曜日、生まれただいたいの時刻がわかれば教えられる。」
 僕は始まって10秒で終わっていた。ドジである。生まれた曜日も知らなければ、時刻もわからなし。母にこれまでたずねたこともなかった。
 ここでおしまいである。また出直さなければならない。
 これで帰るわけにもいかない。
 「病気はどのように治すのですか?」
 「薬草じゃよ。しかし今日は病気を治す日ではない。」
 「病気を治すにも日があるのですか。」
 「プマンクがいない。プマンクは今日は休みじゃ。」
 「ああ、単なる休暇の日なんですね。」
 「違う、違う。病気を治す日じゃないから、プマンクが休みなのじゃ。」
 「何か暦のようなもので調べるのですか。」
 「本じゃ。本に書いてある。」
 「本?僕の生年月日、その曜日、時刻がわかれば、僕の過去、現在、未来がそこに書かれているのですか。」
 「そうじゃ。」
 「僕の死ぬ日はわかりますか。」
 「いや、それはわからん。」


 本とは、ロンタル(文書)のことではないか。ロンタル椰子の葉に書かれた文書のことを言う。南インドの「アガスティアの葉」とよく似ている。「アガスティアの葉」は個人の予言が書かれたものである。
 後で聞いてみると、ロンタルは小冊子風になっていて、分類化されているらしい。真言(マントラ)、薬草、吉凶、方位、祭礼などあらゆる人間の存在のしかたについて書いてあると言う。
 バリの高貴で難解な言語用法で書かれ、それを吟じる。普通の人はわからないので通訳が要るそうだ。僕らが仏教の読経を聞いてもわからないのと同じなのだろう。
 バワの弟が言うには、ロンタルを読み解けば死ぬ日までもわかるそうである。しかし、「時々、そうじゃないかと思う時がある。」とつけ加えている。ある人が死んだあとに、バリアンがあらかじめわかっていたような言い方をする時があるらしい。


 ロンタルはイダ バグスの本家系統が代々受け継いで、家の中に所蔵されている。イダ バグスだけがプダンダになることが許される。ロンタルが読めるようになる修業が必要となる。吟じること、意味を理解すること、知識を身につけること、そして聖なる精神が必要とされる。
 例えば、ロンタルにはチュティクと呼ばれる毒を用いて人を病気にさせる方法も書いてある。その毒を解かす方法も書かれている。チュクリという陸貝の一種と海で採れるルンシンという貝をココナツオイルで揚げて、その油をとり、北東の側にある椰子の木の若い実の汁とまぜて患者に飲ませるとよい、とあるらしい。
 僕は人間の一つの細胞に全人類の記憶が閉じ込められているのではないかと今、思っている。
 ある男の細胞とある女の細胞が混ざれば、受胎と同じように新たな人間が誕生するのではないか。今はまでその技術が獲得されていないから、精子と卵子の結合、つまりセックスという手段でしか新たな人間は誕生しないのである。
 そして、精子にも卵子にもその歴史の全情報が入っており、それはやがて脳のどこかに本当は刻印されていて、封印されたまま保存されているのではないか。


 サバン症候群の自閉症の人たちや、少数だがある痴呆症の人たちが、習ったこともないのに、ピアノが自由自在に弾け、たった一度楽曲を聞くだけで、ピアノでその楽曲を再現できるという能力や、生きていたことのない年月日の曜日が即座にわかるとか、一度見た風景を絵でその通りに再現できるという能力は、脳の一部の破損によって、別の部分に回路がつながり、これまで封印されていた個所を開くことになったのではないか、と研究者たちは感想を述べていた。
 それはあり得るのではないか。
 すると、ある時代、時代にすべての人の精子や卵子の中にある情報をある程度とり出せる人が出てきても不思議ではない。
 「アガスティアの葉」はそのような人によって書かれ、ロンタルも同様に真似られたか、あるいはバリ島の実情に合わせて、バリ島にこのような人が現れたか、いずれにせよ、あながち嘘や偽りのものではないのではないか、と思う。


 ロンタルが読め、その中に書かれた知識を勉強しなければプダンダにはなれない。しかしロンタルは古い時代に書かれたものである。それが基礎となるが、ヨギ(女性。ヨガは男性で神の言葉を聞き、書き写す人)によって新しい神のお告げがあり、それが書き写されプダンダは新しい文書を本のような形で持っているらしい。


 「今日はこれで失礼します。母に僕が生まれた時刻を聞き、曜日も確かめ、また来ます。ついでですが、人相とか手相で占いはできますか。」
 「ある程度じゃ。難しい。」
 「その本は星と関係ありますか。」
 「ない。」
 本当だろうか。こういう時、言語能力にイラ立つ。
 「方位とは関係ありますか。」
 「方位は重要である。」
 これ以上突っ込んで聞くには通訳が物足りない。
 なぜ曜日が重要なのか、そして時刻が重要なのか。七つの星が地球、そして僕の母や僕自身に影響を与えているのは至極当然であると思える。太陽なくして我々は存在しないし、月の満ち欠けも人間の身体に影響を及ぼす。僕が生まれた時の土星や火星の位置もきっと影響を与えているのだろう。


 翌日母に聞くと、僕は火曜日生まれで、しっかりとは憶えていないが午後2時から3時の頃だったと言う。


 バワにそれを伝え、今度はアキちゃんに通訳してもらうことにし、再度でかけることにした。


2002年9月10日
バリの占い 3

 再度、プダンダのところに行くまで間がある。
 宗教について述べておきたい。
 僕には宗教がない。寺はあってもその宗教を信心しているわけではない。宗教をもっている人を否定はしないが、宗教は解体されるべきだと思っている。解体というより開かれてしまえばそれでよいのかな、と思っている。どの宗教でも神や天に祈りをする、その時の雰囲気はなぜか好きだ。敬虔な雰囲気が祖母とよく通った天理教にもあったし、葬式のあの奇妙な静けさも好きである。しかし、宗教は解体された方がよいと思っている。
 こういうことを書くと宗教を信じている人は怒り出すかも知れない。あえて承知して言えば、宗教はそれを信じる人の世界が閉じてしまうことに最大の欠陥があると思う。個人も閉じれば、団体も閉じる。
 しかしながら、宗教家からいろいろなものの考え方を知る。たとえば「一言芳談」が良い例で、「この世などはちっともよくないものだから、早くあの世へ行った方がよい」と言う言葉の裏には〈死〉という場所からこの世を見、この世のつまらなさを強烈に光あてて、地位も名誉も、金も学問もそんなものちっともすごいことではないのだよ、と逆に言っているところがある。こういうのは宗教を信じて得る知識ではなく、ひとつの思想として、胸に響く言葉である。
 ただ何でも信じたらいいものでもないだろう。
 奇跡を起こすのを目の前で見たからといって、すぐ帰依するものでもないだろう。
 奇跡は起ると思っている。そして奇跡が起る範囲は、人間の手の内、人間の心の内、もっと言えば、人間の胎児の内、人間の精子の内、人間の細胞の内と言ってよい。
 前世だ、カルマだというのは、脈々と続く精子や卵子が記憶をもっているからではないかと今の僕は思っている。精子であった頃の記憶を取り出せる人がいて不思議ではない。
 こんなことを思いながら、再度プダンダと会うのを楽しみにしている。しかし、そこで占いが当たっていようが、いまいが、僕はかまわないのである。それは奇跡が起ろうが起るまいが、「なんにも」というのと同じである。
 奇跡などが起きようが、死んだら死にっきりである。


2002年9月11日
グランブルーのこと

 レストラン・バー グランブルーのオープンスペースのエリア、そのレギャン通り側のガラスを全部撤去した。そして、テントも取りその柱も取り払った。そうしたら、広々となり、通りから中が見えるようになった。すると、客がこれまでの2倍から3倍入り始めた。
 ここまで来るのにちょうど2年かかった。くやしくも、レギャン通り側の壁を取り払うことは一年前には思いつかなかった。
 フロアーのスタッフと話し合いをしていて、なぜか取り払おうと思った。最初はテントと柱を取り払うつもりで話をしていたのだった。急転直下、壁も撤去しようということになった。
 人情話になるが、バリ人はボスに対して口などきけないと思っている。僕は役割だと思っているところがあって、それぞれのスタッフが、勇気を出して意見を述べ、ああでもない、こうでもないと言い合った方がよいと思っている。しかし、「そんなことは言えない」というのがスタッフの心情だった。
 今回の渡バリでも、これまでの調子かと思っていた。ところが違った。フロアーマネージャーのグスが言い始めた。「他店のリサーチがしたい。」僕は「テントを取りたい、どう思うか。」それでミーティングとなった。結果はテント、柱、ガラスの壁を取り、その後デコレーション、音響の位置、すべてスタッフの知恵ですることになった。
 クリエイティブになり始めると、クリエイトすることのおもしろさが出てくる。みんなが口々に言い始める。するとバーもキッチンの者も、「言っていいんだ。」と思ったのか言い始めてくる。
 これまでいくつも町のレストラン、ホテルのレストランをまわったが、バワシェフの味が一番良い。身びいきではない。バワのいない時の失敗などはあったが、ほとんどの客が喜んでくれ、美味しいと言ってくれた。バワは値段にも材料にも妥協しなかった。新しいメニューを作ることにも取り組んだ。
 僕の力不足で、バワの料理を広く宣伝する知恵が思いつかなかった。
 ツアー客は、だいたい行くレストランも日本の旅行代理店との提携先へやられてしまう。バリ島内の雑誌はどこに広告を載せても、すでに行く先が決まっている客が80%は占めるからなかなか打つ手がない。
 「あれこれバリ島、発見・発掘」からの縁で客が来てくれて、やがて企画ツアーで来てくれる人も増えてきた。
 客数が増加し始めたところで昨年テロ事件が起きた。8ヶ月、バリ島の観光客は激減しこの間、多くの店が閉じた。イスラム国であることと、飛行機に乗っての観光地であることが影響した。
 運命は決まっているものではない。切り開くものだ。切り開いたことまで「運命」だと言うなら、言う奴はいい加減偽者である。仮に本物だとしても、本物は「言わない」ものである。だから本物を見分けるのは難しい。
 ここまで来たことを素直にみんな喜んでいる。テキパキとし始める。生き生きとしてくる。
 さて、ここで問題は良い循環の中に入れられるかである。


2002年9月14日
ココナッツオイル

 「ココナッツオイルに塩を混ぜて体に塗ると疲れがとれるのよ」
ブックツリーのダユのこの言葉に商売気が首をもたげる。
 良い情報を得たと得意げにグランブルーへ行くと、バワがニタニタ笑いながら、
「それにちょっとジンジャーを混ぜるともっといいんですよ。」
と言う。フムフム。どうして、ブックツリーでは「ジンジャーがでてこないんだ、と思って、翌日聞くと、そう言えばそうだ、とみんなが言う。
「まだ何かあるんじゃないのか。ココナッツオイルを利用した何かを喋ってくれよ。」
 と言うと、
「ココナッツオイル(ハンドメイドのものでばければならない)
にサンダットを混ぜて、子供の頃、ヘアーリキッド代わりにしたもんです。
「えっ、何?ココナッツオイルにサンダットのエッセンシャルオイルを入れるのかい?」
「違いますよ。花をそのまま入れるのです。花を入れたオイルに熱を通して、オイルを濾過します。その濾過したものを髪につけるんです。」
  するとスリアシが
「チュンパカを入れる人もいる」と言う。
みんな一時代前の話をしている。こんなことにどうして興味をもつんだろう、と思っている。
 昔と言っても10年程前まで使われていたものである。


 ハイビスカスの花からマニュキュアを作っていた。シャンプー代わりにもその葉を使っていた。 シー ハイビスカスは 髪を豊かにし、つやつやとして、男性ははげの予防にもなる。今も必要そうな人は使っている。
 シリ(キンマ)は虫歯、口臭止め、わきが、汗の匂い、便の匂いをとるのに使う。今は歯磨きが登場したために、使われなくなった。


 恐らくこのくらいのことは日本やアメリカの製薬会社やエキスメーカーは分析し尽くしているにちがいない。 
僕は専門的に知識がないので1人で好奇心を抱いているのだろう。
 昔ながら使われてきたものがもう一度見なおされる日がバリにも来るに違いない。


 バリ島に来ると。なぜか髪の毛がパサパサとする。アキちゃんが「そうなんですよね。水のせいかいしら。」
と言っていたが、リエコさんも同じ感想をもっていた。髪にうるおいがなくなるのである。
 今日一日中ココナッツオイルを仕事の関係で触っていた。無意識にオイルのついた手で髪を触るのだろう。パサパサの髪が心地よくなめからかである。
これには驚いた。しかし本当は髪の内側からしっとりとなってこなくてはならない。でも散髪屋さんのヘアーリキッドやヘアークリームよりよっぽどよい。


 ハンドメイドのココナッツオイルについて述べておきたい。
複雑な工程を経て、オイルがしぼりだされるのだが、甘いクッキーを焼いたような香りがするのが特徴である。
 肌に塗ってマッサージをしてみると吸収力が早いのに驚く。
この吸収力の早さは精油(エッセンシャル)を体内に運び入れるキャリアーオイルとして優れている。甘いクッキーの香りを取り除きたい場合はパンダンという葉を入れるとよい。


 一度めに身体にすり込んだオイルはベタベタ感がない。二度目になると、吸収しきれないのか少しベタベタ感がある。それをタオルで少しふき取るのである。シャワーでおとしてしまうのはもったいない。


 純正のハンドメイドのココナッツオイルをキャリアーオイルとして使っているところをこれまで多くのエステに行ってみたが、ないのが実情のようだ。マーケットで売っている粗悪なもの、もっと悪いパラフィン、サラダオイルを使っているところも多い。
 パラフィンを使われて「ああ、エステだ、気持ちいい」などと言っている風景を想像すると、気の毒になってくる。
 不健康でストレスいっぱいと思い込んでいる日本人女性は本当は日本の日常生活を離れるだけで神経的な「病気」は治っているのである。しかしストレスの残像があるからエステに向かうことになる。
 マッサージをしてもらうと気持ちがよい。しかもバリ島は年がら年中暖かいから、血管が膨張して血液の流れをよくする。
 とりあえず、エステ・デ・マッサで 明日から「キャリアーオイルとしてハンドメイドのココナッツオイル」を使ってみたい。
 ホホバオイルよりも優れたものであればなあ、と思っている。
日本でもっと分析してみようと思う。


2002年9月16日
時は過ぎ行く

バリに来て9日になる。2日前から、またバテ気味である。バテないようにと忙しくしなかったはずだが、やっぱり体がだるくなる。毎日ビールを飲むのが肝臓に負担になっているのかと疑ってみたり、やっぱり赤道近くにいるせいだろう、とかいろいろ思ってみる。
午前中はプラザバリに新商品の売りこみに行った。


 マッサージオイルのキャリアーオイルを精製していない手搾りのココナッツオイルに変えようとしていたところ、丁度ラッキーにも自家製化粧品や石鹸などで有名なサビーさんがバリに来られて、いっぱい教えを乞うた。さすが専門家である。本に書いてあるのよりも生の体験と豊富な知識があり、とても助かった。吸収力のよいココナッツオイルをキャリアーにすることを喜んでくれた。おそらくバリ島で初めてではないかと思う。午後はサビーさんの話を聞き、彼女が帰ったあと、成美堂出版の取材の方が見え、新しい開発商品の写真をいっぱい撮ってもらった。その時は疲れも忘れてしまう。成美堂といえば、サビーさんが本を出しているところである。


 新商品を作るのは楽しい。だいたい10作れば1当たってよいと思っているが、今度のオイルと、トロピカルハーブティーは根気よく続ければだんだんと良さがわかってくれる人がでてくるのではないかと思っている。サビーさんは2年ほど対葉豆を使ってくれて、そのよさを十分に体験したと言って、今度取り上げくれるそうだ。うれしいものである。ニキビの多いバリの女性をみると、対葉豆のお茶がヤーマにあるからは飲みにこいという。毎日3杯は飲むようにと言って、次にバリにくるとニキビはすっかりなくなっている。対葉豆は便秘にもひどくよい。開発からすでに3年である。


 昼はこんな風に時が過ぎてゆく。オーストラリアの人が休暇があるらしくホテルのプールでのんびりしているのを横目に時々横になりたくて部屋に戻る。
 部屋に入ると、し忘れた宿題のようにまたいろいろとバリ島のことや人間の発生のことやらを考える。
 考えることが職業でもないのに、ずっとそんなことばかり考えている。恐らく15歳くらいの時からだからもう35年以上もこの習慣は続いていることになる。
 人間はどのようにしてあるのか、何が解決されなくてはならない問題なのか。能力がないから、まとめて本などにする力もない。
 生きられる時間も残り少なくなってきた。体力も衰えてきた。記憶力もさっぱりである。
 さて、プダンダのところに再度いくことになっているはずだのに、バワから一向にお誘いが来ない。どうでもいいといえばどうでもいいのだが、もう一度だけはバワにどうなっているのか聞いてみるか。バワは21日に チャルの儀式をするとかで、(なんでも大きな蛇がいて、バワの家胃を祟っていたのだという。その蛇を殺し、清めのというかおはらいの儀式をするのだそうだ。それで忙しいらしい。)
 バリの人々は祖先の霊が再生すると考えている。精子と卵子が結びついて子供ができることは知っている。避妊をすることも知っている。今は産児制限ではないが、子供は2人までにしようというような政府の啓蒙活動も行われている。
 海に漂う祖先の霊か天上に漂う祖先の霊か知らないけれど、それが女性に宿ると考えられている。原始の頃、子供が生まれるまで10ケ月の期間があったから、セックスが子供を産むことになるという認識がなかった頃のことを今も持っている。
 宗教とはそんなものなのだろう。


2002年9月18日
プロモーションビデオ

 バリ島では常に英語の番組を見ることができる。そんな6局だったと思うが興味をひく番組がないことにも驚く。時々、バリのテレビ局がバリを再発見するような番組をしているが、ドラマも映画もぱっとしない。ありきたりのメロドラマと、殺しばっかりの外国映画が多い。


 そんな番組の中で、最先端の音楽事情を伝える、MTVというテレビ局がある。


 これを見ていると、音楽番組なのに、とても音楽を聴いていられない映像の邪魔さがある。いわゆるプロモーションビデオを流すというやつである。僕は、信じられない。
 音楽は耳からのものであり、耳からの映像を聴く側が自由に想像する世界である。それを、いかにも音楽に合わせたかのような映像が目に次から次へと飛び込んでくると、音楽家の感性を疑ってしまう。なぜ、人の想像力の邪魔をするようなことをするのか。どんなりっぱな曲を作ろうが、こんな映像を許すとしたら、ダメ音楽家だと言いたい。
 
 耳からの映像というのは僕らが母の胎内にいたころに、超感覚的に持っていたものだ。6ケ月で聴覚からの映像を胎児はもつことになる。視覚の映像は目が見え始めてからのものだ。


 音楽に映像をつけることによって豊富な音の世界は視覚によってますます退化したものになる。もしも映像とくっつけるような音楽家が原始的な、自然回帰的なものに憧れるなどというのなら矛盾もはなはだしく、どうせたいした音楽家でもない。


 で、MTVというのはそんなものばかりだ。その番組を見ている若者から抗議の声もなく、番組が存続しつづけているのはなぜなのだろう。


 考えられることは、若者を擁護して言えば、若者達は、音楽を聞くのではなく、映像で、ファッションや奇怪な行動や演技を見ているのかもしれないということだ。もうひとつある。
 音への感覚が退化しているのかもしれないということだ。これは、僕には嫌なことだが、若者は聴覚からの映像感覚をテレビ局や映像の作り手から剥ぎ取られているようなものだ。


 バリ島の映像が流れていた。今のバリ島の生活の一部を紹介する番組である。バリ島の生活風景のバックグランド音楽にミステリーさながらの音楽がかかっていた。このお粗末さにも驚いたのだった。
 日本を紹介する映像に琴や尺八といったワンパターンの音楽以上に悪い。映る人々がみんな犯罪者のように見えてくる。
 これは聴覚からの映像がバリの風景とあっていない、僕が拒絶しているのだと思う。


 映像は映像でよい。これはこれでおもしろい。
 なぜ、一緒に音と映像を一緒にするのかと言えば、映像のほうが音より惹き付ける力が弱いからだ。映像のほうがやっぱり持続させる力がないのである。そこで音楽に頼る部分があるのだろう。
 プロモーションビデオは 完全に倒錯している、と思う。
 そしてどちらも貧困である。


2002年9月19日
バリアンの二面性

 バリ島のバリヒンズーと呼ばれる宗教は、バリ人の社会生活を取り仕切るものである。
 ヒンズー教がインドージャワからバリに入ってくる以前に、精霊崇拝のようなものがあった。インドの聖人・アガスティア崇拝などがあったようにヴェーダの影響も見受けられる。
 僕の知識ではその判別は難しい。
 ヒンズー教は多神教のはずなのに、インドネシア政府公認の宗教として認められるには、唯一神をもつことを強要された。シヴァ神、ウィシュヌ神、ブラーフマ神のヒンズー三大神の上に「サン・ヒャン・ウィディ Sang Hyang Widhi」をベェーダ文献のなかから見つけて、策としてこの神を置いた。
 これは明らかに政治的意図によるものである。


 バリは神や祖先の霊は天上から降りてくるもので、寺院の中には神はいないことになっている。バリ島で今も続けられている様々な儀式は、ヒンズー教によって吸い上げられ、現在に至っていると思われる。
 ウク暦は順列的暦で、古代バリからのものであり、サカ暦は陰陽暦であり、ヒンズー教の影響である。バリはこの二つの暦に従って生活を送り、ビジネス界では西暦を使うという風である。
 方位に対する考え方はバリの独特のもので、互いに相反するものを対峙させる考え方もバリ特有である。
 また、<死>の世界から再生する、という考えがある。祖霊は再生して自分の子孫の誰かにうまれかわると信じている。ヒンズーにもこのような転生の考え方はあるが同族の中で生まれ変わるという考えはない。
 ついでにバリアンについて述べると、バリアンとは、「呪医」のことである。憑依によらず占いを行い、呪術や薬草などを用いて病気治療を行う人を言う。ボルネオ南部のンガジュ族の女性シャーマンを指す「バリアン」と関係しているらしい。バリアンの行う「右の呪術」は病気を治すもので、「左の呪術」は人を病気にさせるものだと言われている。ヒンズー教が入っている以前からあった。
 「サドゥク」という神との交流を行い、神に憑依され、神にうかがいをたてて、占いを行い、治療法を教え、また祖霊や死霊をおろし、祖霊や死霊の意志を自らの口を通じて伝える女性もいる。スードラ出身であり、文盲だそうだ。僕はまた会ったことがない。
 いずれにしろ、バリ島は僕には相当息苦しそうな社会である。バリアンを例にとってみると、バリアンには二面的な意味があるように思われる。
 病気から解放すると同時に、不安や恐怖、疑心暗鬼、葛藤を植えつける。
 病気が「先祖の霊をねんごろに祀っていないからだ」とか「誰かが呪いをかけた」と言われたら、信じているからこそ、「そうか」となるが、本人もそばに聞いている人々も、「オレも呪われてるのではないか、誰かに」となるに違いない。
 病気にならないために、祖霊をねんごろに祀る。呪われないように人とのトラブルを避ける。言わなくてはいけない時も言わなくなる。でしゃばったら、恨まれるのではないかと思う。そういう社会に発展は望めない。
 だから、若い世代はバリアンを敬遠している。あっけらかんと、「病院にいくわよ。」という人が多い。
 これは、若い人々がバリアンから離脱をし、不安や恐怖、疑心暗鬼や葛藤を避けているのだろうし、バリアンは癌やエイズを治せるわけでもないことを知っているからだ。
 バリアンとヒンズー教を切り離して考える傾向にある。
 自分が再生するのは結構な話だが、今生きている時間こを最も貴重で、離れがたいものだ、とほとんどの人は思っている。
 この傾向には抗しきれないものがあるように思える。


2002年9月20日
波頭

バワは家に悪いヘビが出たというので、チャルセレモニー(地下の悪霊を鎮める儀式)の準備に仕事の合間をぬって大忙しである。毎日、料理とか段取りの打ち合せにクルンクンのバカス村まで行く。父系制の総領の跡継ぎだからか、力を誇示する必要もあるのか、たいへんそうである。
 僕のププタン行きなどはすっかり忘れているようだ。どうせ好奇心のものだろう、と思っているのかも知れない。
 
 「ワヤン、最近ご主人の商売はうまくいっているかい。」とスタッフのワヤンに聞く。ワヤンの夫は新しい商売を手掛け、なんとか一旗あげたいと思っているのだが、なかなかうまく行かず、これまで三度職替えをしている。
 「今、CDを売ってるのよ」
 「えっ、CDって音楽の?ははー海賊盤なんだろ?」と笑うと
 「そうだ」と言って笑う。
 「いずれ、捕まるぞ」
 「えへ、警察官にお金をちょっとあげて・・・」
 子供をシガラジャの親の元に預けて、夫婦二人でクタに出てきてもう二年以上になる。まだ子供を引き取れない。


 ブックツリーのコマンに赤ちゃんが生まれた。女の子だった。同時にコマンの夫は仕事を辞めた。子育てをするためである。アグン山のふもとのジャングルの中にある村から出てきた夫は、子供を親に見てもらうわけにはいかない。
 
 ヤーマのプトゥにも「だんなは最近どうだい?」と「果物行商はうまくいっているかい?」と聞くと、今は仕事をやめて、子育てをしていると言う。
 
 マッサのアルフリーダは、スラウェシ出身のカトリック教徒である。バリ人と結婚した。二ヶ月前、「ドイツの美容院から誘いがあった。二週間まず下見をしてから決めたいので二週間休ませてほしい。」と言ってきた。僕はそれは潔さながない。下見してやれると思ったら、ここをやめていくのだから、それくらいの責任とリスクは背負うのがスジだよ。とマッサを辞めることをすすめた。しかし、他の国でさらに美容を習い、また帰ってきて美容院を開きたいという意欲は、僕の好みなので、辞めても連絡をとるように言った。現在、彼女はドイツから帰り、スラウェシに夫や子供と別れて暮らしている。ドイツではやれないと思ったのか下見の段階であきらめたようだった。僕のいない間に、そういう連絡がブックツリーにあった。
 彼女はバリを嫌いだった。キリスト教の影響かも知れない。独立心というか自立心がバリ人とは色彩が違う。
 
 スラバヤからイルリンさんが来た。彼女は30年前高校卒業後、5人の留学生に選ばれ日本で都市論を研究し、博士までなった。夫はその時いっしょに日本に留学した人で、建築家である。
 5人のうち、12年後、3人は母国に帰った。
 イルリンさんは菜食主義となり、禅に興味をもち、現在はスラバヤの日本領事館の建築にかかわったり自宅で、手芸や切り絵などを教えている。ナチュラルな化粧品を作ったりしている。彼女は中国系のインドネシア人である。

 人生は海の波頭のようである。


2002年9月21日
恋愛または性愛のこと

ATLウィルス(成人T細胞白血病)が日本列島人(ヤポネシア人)に分布する特徴について、日沼頼夫は、ATLの発生の地理的偏在としてATL患者の発生は九州に圧倒的に多く、それに四国南部の一部と紀伊半島、沖縄に多発する。特に僻地、海岸地帯、職業的には漁業のような肉体労働者が多い、と述べている。
 さらに、B型肝炎ウィルス・キャリアが日本列島人(ヤポネシア人)に分布する特徴については、HBs抗原には4つの型(@adrAadwBayrCayw)があるが、結論から言ってしまえば、日本国内の分布は@のadr型が75%で、Aのadw型が25%。つまり、ATLウィルスとHBウィルスのキャリアを見ると、確信をもってATLウィルスのキャリアが古代モンゴロイドに属し、これが同時にHBウィルスのキャリアである場合にはadw型であろう、つまり奄美、沖縄、台湾、フィリピン、中国南部、広西の少数民族、ジャワ、メダン、南インド、アフリカ東岸、アメリカ大陸、インディオ、イヌイットは元は同じだったということである。
 長々とウィルスのことを簡略して説明したが、僕が何を言いたかったのか、と言えば、紀伊半島生まれで漁師育ちの僕も、バリ人も元は同じじゃないかということである。
 元が同じであるという認識はつかみやすそうで実はつかみにくい。肌の色も歯列も、鼻の高さも言葉もよく似ている、というだけではいかない。先祖の霊を大事にするなら、我が一族の先祖の霊などと言っていないで、元は同じだったという科学的な認識が必要だと思う。つまり、我々の世界で1+1=2である、というのと同じように。
 親族や近所どうしでも仲たがいするのだから、民族の相互理解は難しいものだと思うが、もっと掘り下げて種族と言えば、案外理解は易しいのではないだろうか。民族や種族を越えて、人間が個々に行動を起こす場合がある。
 それは「恋愛」であり「性愛」である。


 人間ははまってしまえば、つまり、自分のどこかを充足させてくれる人が現れれば、「恋愛」や「セックス」を民族や種族の元のところまでいったところで結びついてしまう。互いの言語がわからなくても、言語の元のところで結びついてしまう。
 こういう現実を目の当たりにすると、ATLウィルスもHBウィルスも関係ねえや、となってしまう。人の恋愛やセックスはそれほど人間の根元までいってしまう。これには学問も科学も宗教もお手上げである。いったんこういう局面に入ったら、他人は何を言おうとダメなのである。種族の初源、人間の初源のようなところまでわずかな時間で行ってしまう人を、誰が何を言おうと説得などできるわけがない。理性とか文化とか考え方とかとは違った原始の、たとえば母の羊水の海の水面のようなところで、二人は出会っているからである。
 水面がさざ波打っていたからそういう衝動が起こるのか、荒れた希望のない海だったのか、それとも凪のような水面だったのか、僕にはわからないが、感覚的に、たぶん二人は(永遠の二人ではない、その時その時の二人である)そこで出会っているとしか思えない。
 こいうことは僕はなんとなく知っている。
 映画の世界で様々なカップルを見る時、僕らは瞬時に母の羊水の海まで降りている。
 また、「ドクトルジバゴ」のような「本当に愛する人とは一緒になれない」というようなテーマの映画に感動するのも裏返しの感情であり、やっぱり羊水の海の水面に降りているのだと思う。
 文学や芸術というのはひたすら元のところまで行きたがる衝動ではないかと思う。
 するとATLウィルスやHBウィルスの研究というのも、どうしようもない人間の衝動なのかも知れない。が、人間は文学やら科学とはおかまいなく、言葉も論理もなくふっと時空を遡ってしまうのだと思う。