| 2002年2月13日 居心地のよさ 関西空港発 ガルーダ883便。乗客は客席数の半分くらい。前日の睡眠不足で、機内で3時間は眠った。 パリやモロッコ、バルセロナなどが舞台となる村上龍の小説を機内に持ちこんだ。異国の情緒で頭いっぱいにしてバリにいくのもいいな、と思ったからだった。 ところがである。この小説「サビナ」はある女性の病的で破滅的な物語だった。 あまりにも破滅的なので気分が悪い。どうしょうもなく不快になるが、小説を読み進んでいこうという真面目な気持ちもあるので、時々休んでは気分を換え、また読んで不快になり、また休んで、主人公の女性のことを考え、中上健次と村上龍を比較してみたりして、村上龍は中上を越えられないな、などと思い、何度か読む、休むを繰り返したのち、ついにやめたのだった。気分換えしようとガルーダの機内誌に目を通したりする。 今回の渡バリの目的にひとつにエステの話がある。 エステ。エステとはつまるところ「演出」ではないか、と思う。エステを日本で展開したいという方が2組来る。用材を提供する、というのはそんなにおもしろいことではない。「演出」を提供するほうがおもしろいのではないか。肌を美しくする。もちろんそれも同時に必要なことだろう。美白効果のある化粧品などはやまとある。 対葉豆とルルールなどもそのひとつだろう。アボガド、ヴァンクァン。効用はあるけれど、心のほうがだめになったら内臓も肌ももみんな悪くなるように思う。一度怒るれば血液がドロドロになり、酸性化するというが、身体に心が影響するのは誰でも知っていることだと思う、 そうなれば、エステは「こころ」のほうに向かったほうがよいのではないか。 だから「演出」なのだ。気持ちよく、クセになるくらい気持ちよくなって帰っていただく。たとえば、エステを始める前から、聖水をかえ、気分を浄化する。 バランシングオイルを七つのチャクラに塗る。そうやっておいてから、マッサージを始める。アロマの香り、音楽。俯いたときにみえるバリの花。 そんあことをあれこれ思っていあたら、機内アナウンスが着陸体制に入ることを告げた。服をトイレで着替え、しばらくするとバリ島が真近にみえてくる。珍しく雨が降っていた。到着時に雨が降っているというのは初めてである。 グランブルーに直行した。 スタッフの顔を眺めるとなんだかホッとする。このホッとする気分。これが日本にいる時と違うのである。よくバリ島にくるとホッとする、という人がいるが、僕は実感として初めて体験したのだった。鋭敏な人はとっくにこの気分を感じているに違いない。ぎゅうぎゅうの仕事のあと居酒屋へいってホッとする、というのではない。久しぶりに家で日曜日ホッとするというのでもない。何なのだろう。 バリ人達の落ち着いたゆっくりした動き。寡黙な出迎え。心の中の微笑み。それらが一体となってある雰囲気をつくりハーモニーを醸し出している。 居心地のよさを感じる。 今日はこれ以上考えず、ホッとした安心感のまま明日を迎えようと思った。そして寝た。 2002年2月14日 結婚 この頃、脳が衰えてきたのか奇妙なことをしてしまう。火がついている煙草の方を口にくわえてしまったり、「りえこ」が「もとき」に聞こえたり、さっき言ったことを完全に忘れてしまっていたり、症状が甚だしい。 今日はとってもビッグな商談を終え、内心ウハウハしているのに、脳がおかしい。 今グランブルーにいる。バースタッフがお客様にカクテルパフォーマンスをしている。「ココノ コオリ ダイジョウブ、ヤマハ ウォーター」と言っているし、」「シェイカー フッテミマスカ」とか言っているし、賑やかに写真などパチパチ撮っている。 アクエリアスホテル オーナーの息子の結婚式が18日。披露宴がハードロックホテルで23日にある。僕も招待されている。それにしても結婚式のもう1週間も前から毎日近所の人や知り合いなどがプナラック というロンンタル椰子の葉で編んだ籠を腕に抱えてお祝いやら手伝いにくるのだろう。費用も手間もたいへんな話で、結婚式だけで、相当な馬力の使い方だ。息子はオーストラリアの大学を出て今はこのホテルの後継者である。 エステに来たお客さんは喜ばれる。めったに見れない、バリ人たちの日常の、しかもめでたい式である。いろいろなクアヤやサルンが見える。式のまだ5日も前だというのに、1500人は入らないからと、祝いにきては、そのへんでお菓子などを食べてしゃべっている風景が見える。 日本にもこういう時代があった。すでに僕の感覚では、過ぎ去った慣習といってもよく、「病的なお披露目」としか言いようのないものである。バリ人からしてみれば当然の習慣なのだろうが。さらに時代を経れば、形式だけの結婚となり、やがて今の日本のように二人で海外で挙式となるのか。週末通い婚になるのか。 などと僕は「ハブラビス」というフランスのスープを食べている。 昨日は午後から晴れてきたが今日はまた朝から雨である。 人間は何らかの形で「対」になる人を求めるものである。またある対になる人と一定の時期いっしょにいたりして、いつも人の気配を感じていたいものである。 これは人間だけである。 さてその人間をこれだけ盛大に結婚式によって「あなたは今日このときから対なるものは求めずに、家族のため、社会のためだけにいきなさい」といわれているようで、たいへんだなあ、と高みの見物である。 今度は「ロシアン サラダ」を食べている。これもクリーミーで野菜も小粒に刻まれていれ美味しい。 ところで明日、Riekoママの結婚式である。彼女はバリに来て8ケ月。恋に落ちてしまった。バリ生まれ、バリ育ちのジャワ人、モスラム。式もモスラム式で、お金もないから、僕もとんとこういうことに無関心だからちょっとでも豪勢にやれよ、などと言わない。こうやって仕事でバリにきたいと言ったのも、究極は「対になる人」を探す旅だったのだ。それは彼女の人生のドラマである。主人公は Rieko。 僕はそっと脇に退くしかなく、人生とはこんなもんよなあ、とつぶやくしかないのである。 2002年2月15日 バリで恋 こんな話を聞いた。聞くだけだった。 バリに女1人でいるといっぱい男が寄ってくるんだからね。1日め、出会う。2日め、好きなった、と言ってくる。3日め、結婚しようだからね。私と結婚したいんじゃないのよ。 お金、お金としたいのよね。 一番のカモはバツイチの子持ち。これが一番ひっかかるパターン。子供にとりつく。味方にする。子供の面倒をみてやると働いているお母さんは安心する。ある日、子供が「お母さん、○○さんみたいな人お父さんだったらいいのに。」などと言われたら、もう グッスンお涙、感動もんだからね。 優しさなんて本当の優しさなんかじゃないんだからね。まず家に入り込むでしょ。次は兄弟姉妹が出てくる。親、親戚がでてくる。面倒みてよ、ってやつ。そりゃあ美しい兄弟愛、家族愛かもしんないけどさあ、私はどうなるのよ、って感じよね。金が目当てだったんじゃない、となるわけよ。 こういうパターンはほとんどがジャワのバリ人が多いわよ。あんまり縛られてないからね。 言葉なんか動物語でいいんだ。なんにもわからなくたって、フィーリングでわかっちゃう。 セックスでわかっちゃう。優しさでわかっちゃう。バツイチ子持ちは子供に優しくしてくれるのに弱いからね、それに便利だよね。自分も女1人でたいへんだ。それで恋に落ちちゃうのよ。 まあ、結婚するとして、男、つまり夫は手に入れたわけだから、バリにいることもあんまり意味がなくなってくる。だって旅って、新天地に行くって、本人は気がついてないかもしれないけど、相手を探しにいくわけでしょ。「出会い」とか。何かを求めてね。究極は「恋」よね。これを見つけたら、そこで旅って終わっちゃうよね。で、子供の教育のことが心配になってくる。我が子のことを考えると、日本で教育を受けさせないと、と思うようになってくる。夫もいくという。稼げるからね。それで連れてくるわけよ。 そしたら立場が急に逆転するからね。かつて知ったる日本よ。不安なんかない。夫の方は不安だらけでの日本よ。バリで見た時のあんなに素敵な笑顔も自信のない笑顔になってくるんだから。働くところの世話しなくっちゃいけないし、条件のいいところなんてめったにないもんね。大きな子供1人抱えたようなもんよ。 それでだいたい終わり。女を食わせられない、食わせてもらうだけの能力がない、となれば終わりよ。 為替差、国の生活レベルの差の魔力よね。差がありすぎる。 あたし?あたしは絶対こっちの人と結婚しない。好きにもならない。いっぱい言い寄ってきたけど、今はこないね。そりゃあ、パートナーはほしいわよ。夜1人で家に居るのも寂しいものよ。そりゃあそうよ。でもさあ、金目当てかなこいつ、と思うとしらけてしまうのよね。あたしはダメ。夢中になれないのよね。こっちにいる日本人男性もいやな奴多いけどね。 言い方がまわりくどくってさあ。疑い深くてね。細かいひとが多いよね。なんでだろ。 そう、バリに来て6年だわ。母が帰って来い、というけど、日本にはなんにもないし、バリが住み心地良くているのよね。 お金は社員にネコババされるしで、6年で金めの物は全部なくなっちゃった。 あっ、大事なこと忘れてた。バリにいついてしまう女性のパターン。母親のトラウマから逃れられない人ね。そう思う。「アブラハムの幕舎」(*大原富江 の小説、千石イエスらしき人がでてくる。主人公の女性が千石イエスらしき人の集まりに入っていく過程を描いたもの)の主人公みたいな女性よ。母から逃れるために「オッちゃん」のところに行ってしまうみたいなものよ。わかんない? バリ島は逃れるには良い場所だと思うわ。 海があってね。ウブドみたいなところがあってね。懐かしい感じがしてさあ。 いつか通ってきた記憶があってね。それでバリにいるのかなあ。母親との解決がついていない人は男とそう簡単にはいっしょにならないと思うよ。 2002年2月16日 3年半が経った 毎日雨が降っている。突然バシャバシャと3秒ほどのスコールが降り、パタッと止まって今度はしとしとと降る。 恐らくこの4日間バリにリゾートに来た人たちはがっかりするだろう。 普通、朝と昼は天気がよく、夕方頃か真夜中、あるいは朝方に雨が降るのだが、この4日間は異常である。 今回はバリと日本を結ぶ核となるブックツリーの調整でやってきた。 3年半も経つといろいろな変化がある。成長してくる者。新しく入ってくる者。仕事も多岐にわたってきた。始めた当初、職を探していたものが入ってきて、やがて安定した生活を得る。ブックツリーという看板も大きくなってくる。ビジネスの僕なりのやりかたを僕から学ぶ。だんだんと欲が出てくる者もいる。始めは独立でもしたいと思っていた者が、性格的にか自分の適正を考えてかサラリーマンしようという気持ちになってくる者もいる。 レンタカービジネスが盛んだから、なんとか借金をして車を手にいれ、それをレンタカー会社に貸して小遣いを稼ぐ。家の庭で生活費のたしにするのに、豚や鶏を飼っているのと同じようなサイドビジネスである。 だがブックツリーという看板を使い、その土俵のを利用してサイドビジネスをするというのは、会社になんらかの影響を及ぼすため、厳禁としている。 だいたい頭の回転の速いものがそういうことをする。3年半でわかってきたことを踏まえて、再調整しようということで僕は来たのである。 決して怒らないこと。きちんと説明すること。一人一人が納得すること。それがイダからアドバイスされた調整の態度である。バリ人はプライドが高い、と彼は言う。人前での恥を一番嫌うという。 言い訳けが多いのもバリ人の特徴である。 僕はまだバリ社会や現段階での商取引の習慣などまだわからないこともあるが、おおよそわかってきた。商取引に絡む場面でのバリ人の行動もわかってきた。 裁判官、弁護士、警察官、税務署、入管、お金絡む場面でのマネージャーや担当者。政府の役人。事故などのトラブルで起こること、契約書のトラブルで起こること。 なんとこの社会はシンプルに「お金」を中心に動いていることか。 もちろんお金に案外無頓着な日本人は、経済成長のおかげで、高度消費社会に入ったからであることも知っている。 段階として見れば、古代と中世の平安時代とそれ以後の前高度経済成長期までの段階が近代法をもちながらもゴチャゴチャにあるという感じである。 こういう中に人々はいる。普通に生きている人には関係のない話なのだが、バリ島で会社をするということは、普通に生きている人たちとはすでに違った層のところでやっていかなければならないのだ。つまり利権が絡む場面に始めから突入するしかないのである。 2002年2月17日 結婚式の風景 アクエリアスホテルの後継ぎニョマンの結婚式が明日である。式の準備は10日前から始まっているようで、僕はこの4日間はだいたい準備の進行を外から眺めている。 日本にもたぶんこんな時代があった。親戚や村の人々が出て手伝いをする。料理、飾りつけ、招待状の手配など。様式は違ってもたぶん結婚式は結婚式の業者がやるのではなくて自分たちでやっていたのだと思う。 日本ではある時代に煩雑な仕事は専門の業者がやるようになり、それがだんだんと盛大に演出するようになり、近頃はそんな盛大さに意味がなくなったかのように、ひっそりと海外で二人だけで挙式、という風になった。 結婚式が今後どのようになっていくのか想像すると、ひたすら家族だけ、または家族の了解のもとで二人だけ、という方向に進むと思う。儀式は形式的だからこれを拒否し始める。ついでに言えば、籍も形式的なものだから、拒否を始めるかもしれない。つまり同棲や、通い婚みたいな形になるのではないか。 連れ添う相手が自分に本当にあうのか、我々の胸の内のは「恋」が終わったあとの連れ合いとのことを試してみたい気持ちがあるのではないか。アメリカ人などはその辺はドライに、愛してる、とおもわなくなったら離婚する、というパターンだが、かなり露骨に正直だと思う。20代、30代はもしかしたら試婚となるのかもしれない。 バリの人々の結婚式の準備を見ているとイヤイヤながらというか、しょうがないな、という感じで手伝いにきているようには見えない。ワイワイと喋り、昼は準備作業をのんびりと多人数でやり、女性たちもワイワイ供え物や食事の準備をして華やかに賑やかにこのボランティアを楽しんでいるように見える。男達は夜になるといくつかのグループに分かれ、小さな賭け事に興じる。賭け事をするのはほとんどが男たちだが中には女性もいる。そんな女性は中年を過ぎた頃あいの、いかにも自力で商売をしているような雰囲気をもつ女性である。眠っている者もいれば、なにやら真剣に話し込んでいる者もいる。 花婿のほうにも一切の照れとか申し訳なさ、恐縮をするような素振りはない。みんな知り合いだから、という。 1500人もの人に招待状を配っている。23日はハードロックホテルで披露宴である。 人間がワイワイ集まっている時間は楽しい。しかし個人の時間や個人の空間を持たせること、その欲求を充たそうと日本人は働いてきた。 僕はもちろん、個もないバリ島の生活ができるとは思わない。それはできない。バリ人になりたいかといえば「まっぴらですよ」と答えるだろう。 バリ島民たちの経済の発展と収入の上昇によって次の段階に進んでいくことは予測がつく。日本人も次の段階に進むことも、欧米を見ていればある程度想像がつく。 それでは欧米の、特に先進的な地域の人々はどういう段階に向かうのだろう。個はどうなっていくのだろう。男と女はどうなっていくのだろう。集団の中の個人や、集団そのものはどうなっていくのだろう。 1500人に祝われたカップルは離婚をすることが難しいだろう。この盛大な結婚式は、離婚なんてしなくてもいいのだ、対であるだけで十分ではないか、男は勝手にやるさ、女は操を守ればいいではないか。それが本当の男と女の関係のしかたではないか、と言っているようだ。自分さえよければいい、というのは十分に慎むべきこととしてバリ島の生活はある。 2002年2月18日 雲を動かす ニョマンの結婚式は本当は朝から始まっているのだが、披露宴は夕方から始まる。毎日雨が降っているので、大丈夫かとグランブルーのスタッフに聞くと、大丈夫だと答える。どうして大丈夫なのか、聞くと、朝7時から2人の雲を動かせる能力者が雨を止めるように念ずるのだという。 おお、今度は古代の話か、などと思い、本当にそう信じているのか、と念を押すと、信じている、と答える。素朴な話と聞き流しておこう。 雨がやんだら、報告することにする。 確率は半々である。なぜなら昨日の7時半は雨が降っていたし、その前は止んでいた。その前の日は降ったり止んだりしていた。そう考えれば確率は50%である。 こういう話をすると必ず日本人で、 「そうなんだよね。そっかあ、バリには雲を動かせる人がいるんだあ。すごいよね。そういうことってあるんだよね。なんか僕らとは違う能力持ってんだろうね。」 こういうのには実に閉口する。次の言葉がでなくなる。 吉本ばなななんかはどう反応するのだろう。 「みんな優しいのかもしれないな。雨よ止んでくれって、みんなの優しい気持ちが雲を動かすのかもしれないな。私だって、信じる!」 っていうのかね。 さて翌日、雨が止んだのである。僕から言わせれば確率50%が雨が止む方に入ったのである。バリ人にしてみれば当然だとなる。 まあいい。結婚式はなんだかんだと進行していき、夜7時からは披露宴で、音楽と漫才と食事を楽しむのである。 僕もだんだんとウキウキしてきて、みんなの中に混じると各会社のスタッフ達の代表が何人かずつ来ている。「ダンドゥット」が聞けるという。 まだCDではなくレコード全盛の頃、と東京の確か秋葉原の石丸電気というところで、「ダンドゥット」の女王と言われる歌手の(名前は忘れた)SP(LPより小さいサイズ)を買ったのだった。15年くらい前のことである。 乗りのよい曲で、どこかなじみがあるがどこか違う、乗りのよい演歌のようで、アラブの雰囲気もある。 ダンドゥットはこのごろインドネシアの若者からは敬遠されているようであるが、僕はいつか生で「ダンドゥット」を聞きたくて、よくバリに来ていた頃、「ダンドゥット」が聞ける場所を探したのだった。バリと言えば、レゲエかラテンかアメリカの一昔前のポップス、それに伝統的な各種ガメラン音楽だけだった。 それが今日聞けたのはラッキーだという他ない。 そんな音楽を聞きながら、僕は「ゴッドファーザー」という映画を思いだしていた。あの物語の中でもファミリーの誇示というか、力を示す為に、盛大なパーティーを開き、みんなが楽しんでいる間も、あいさつに伺うドロドロとしたファミリーとの関係を描いていた。それを思いだした。 2時間程でほとんどの人は散々と家に帰る。おちょろけた漫才に腹一杯笑って、本当に真面目に聞いて、真面目に笑って、ケラケラ笑って、帰るのである。 そしてやっぱり新婚夫婦はキラキラ輝いているのだ。オーラみたいなものだ。やっぱ、主役はいいよな、と思い、この島は古代や、陰陽師の時代、そして携帯電話やパソコンの瞬時に世界と通ずる時代がいっしょになって、それぞれが色濃く存在しているのだ、と思う。 10時45分。披露宴が終わってから15分が経つ。雨が降ってきた。 2002年2月24日 何と向きあうのか アクエリアスホテルの家族はのんびり暮らしている。この辺ではお金持ち、バンジャールの長。 小さなレストランと客室数25ほどのホテルにテナントとして3社ほどに建物の一部を貸している。 奥さんもなんだかだとしているが楽しそうである。 今度結婚したニョマンにお姉さんがいるが、この夫婦も同じ敷地に住んでいて、彼女の夫も同じ敷地内でのんびりと静かに(そんな風に見える)暮らしている。 彼らは何事にも穏やかで嵐のようないさかいなどないように見える。人とどのように関わり、人にどのように気を遣うか、いつも人がいる中で、付き合いかたの呼吸を心得ているようだ。 良い生活だなあ、と思う。知らない事は決してあわてることなく知っている人に相談し、自分の知っていることはその逆をする。お金持ちだけが持てる特権かもしれない。本当の内実はわからないが、あわてることなく、慌ただしくなく、人望を得て、人が交わる場所の中心にいる。 ビジネスとして考えるなら、一番の一等地を自宅にするのではなく、自宅をずっと後ろのほうに建てて、商売をすれば、と思うが、そうではない。 ホテルの客は必ず、出たり入ったりする度に、アクエリアスの家族と顔を合わせ、挨拶をして通り過ぎなければならない。時々、面倒な時もあるが、彼らはそこは心得ているのであろう。面倒とも思わないのだろう。 人は面倒なこともあるが互いに親和感の中で生まれ、育ち、死ぬ、そこには客であってもそうなんだ、という無意識というか習慣がある。 僕の世代は核家族化の第一段階の世代である。両親は母の母(僕から言えば祖母)の家に住み、母の妹家族も住み、母の弟の子供も一緒に住んでいた。路地の一角だった。 高度経済成長の頃、僕が高校生になって間もない頃、両親は家を建て、妹夫婦も別の場所に引越し、 祖母はある時期孫と一緒にに暮らしていた。 祖母は結局、僕の両親の家で息をひきとったのだった。母が世話をした。 両親が一家族で住むことを望んだように、僕も大学を卒業して以降は両親と別のところに住んでいる。両親は反対もしなかった。時代はもう家で死ぬことも許されなくなっている。世話は介護ビジネスとなり、人はだんだんとますます孤独になっている。 孤独であることにどう対処するか、日本人はそれほど考えてこなかったと思う。 現在の50代の人達が若干考えてきたのかもしれない。 この世代は次の世代に個人の尊厳も教えたのである。それは孤独を覚悟してのことだったはずである。そして時代は介護保険の下、介護ビジネスが進み、孤独に死を迎えることを余儀なくしてしまっている。西洋人のように神と向き合うことのない日本人は何と向き合って伴侶が亡くなった後を暮らすのだろうか。 大勢の人がいる中で生きていくには仲良くやっていくルールを守ることが必要である。わがままもきかない場合がある。ひとり勝手に生きていきたいと思えば、一人死ぬことを覚悟しなければならないのが道理である。 おそらく、2つが重なる部分を今後我々の社会はどうしていこうか、という様々な方法が試みられるはずだ。 2002年2月25日 濃密な気配 若いエディーのエッセイ(このHPのバリ便り)を興味深く読んでいる。読みながら、自分のこれまでの経験と重ねて見る。息苦しいバリ社会が見える。 今回の渡バリは会社をリセットすることだった。だいたいバリのビジネス社会や商習慣もわかってきたし、バリ人達の生活スタイルもわかってきたので、会社就業規則をもう一度見直し、新たに出発させることだった。バリは政治家だけに利権が発生しやすいのではなくどこにでもチャンスがあれば利権が絡んでくる。 会社を通じた仕入れ、会社を通して知り合った人脈、当然のことながら「利権」が当然のようにはびこり始める。こういう不安感がいつもあったものだから、ある機会をもうけてそれは会社の利益に反するもので、 競争力を弱めるものだから、絶対にいけない、と、それをしたら不正行為で解雇をしなければならない、と 念には念を押し、「恨み」もくそもないことを徹底させたかった。 4人、契約の更新をしなかった。そのことを本人たちと会って伝えた。その晩、その4人のうちのワヤンが交通事故で死んだ。 その夜、僕は酒を飲んで吐いた。急に吐き気に襲われた。15年ぶりくらいの嘔吐だった。酒には相当強いはずだったが。 ベッドで苦しみながら、ワヤンの恥じらった顔が浮かんでは消えた。トイレで何度も吐いた。「恨みはここで、今みんな吐いてしまうぞ」と思った。 翌日はすっきりとした。二日酔いも残っていなかった。ワヤンのお父さんと会い、会社ができることを話し会った。 エディの話にあったように、フロアスタッフがコンピュータを習えるとなると、妬まれる、と思ってしまうから習うのを途中でやめてしまう。飽きてきたとしても「飽きた、やりたくない」といわずに「別の部門のスタッフから妬まれる」という言い方をする。そしてそれが通る。見て見ぬ振りをし、人に聞かれていないかあたりを気にし、正しいと思ったことを言うにしてもそれは「恨まれるかどうか」が言う尺度になる。 人間が人間を恐れるため、物事が遅々として進まない。人間はそんなもので、それ以外の人間社会を見たこともないから、「恨み」「妬み」は当たり前と思っている。 人間の内部で思うことは濃い。濃く渦巻いていて、ドロドロとしている。いつも人間が密着しているから、 そうなのだろう。関係が濃いのだ。 確かに人間は恐い。言葉も恐いし、目も恐い。暴力も恐い。集団も恐い。孤独も恐い。暗闇も恐い。 でもバリ島は 休みたい人、ふらっと短期間来る外国人には魅力的な島である。その魅力は実は人間、及び人間関係の濃さが生み出す空気の濃密さと原始から現代に渡る時代の段階が顕在化して一緒に存在していることにある。それに、島であることと熱帯の風土が重なっている。 確かにこの濃密ななにかは言葉以上のものがある。 |