No.9(2001/07/24〜08/02)

2001年7月24日
うーん

 名古屋からの便は客がまばらだった。キャビンアテンダントに聞くとここ一週間、キャンセルが相次いでいるらしい。
 外務省が「危険度1」と発表したからなのだろう。
 線香花火を料理に使おうと思って、試しに何本かスーツケースに入れ、別の店で買った同様の花火をショルダーバッグに入れていた。スーツケースの方はチェックにひっかからず、ショルダーバッグの方でひっかかった。機内に持ち込めない、と言う。
 僕も真っ正直にスーツケースにも入れてあることを言うとちょっとした騒ぎになり、飛行機に入れた荷物の中から僕のスーツケースを探し出し、僕はまたチェックインカウンターに行き、荷物を受け取り、花火を取り出し廃棄処分同意書にサインをし二つあった何と言うのかわからないがモニター画面でチェックする機械のうちどちらで何時何分頃チェックを受けたかを聞かれ、ああ馬鹿正直に言ってしまったと思ったのだった。
 そんなことが飛行機に乗る前にあった。
 バリに到着すると、案の定涼しい。日本の今の暑さと問題にならない。最も良い季節だ。ルピアがさらに上がっていた。2日で一円12ルピアも上がった。買い物があるため円を持ってきたため、かなり狂いがでた。メガワティ大統領歓迎のルピア上昇だろう。
 20日から、バリのスタッフの1人が日本に来ている。彼は25日バリに帰るのだが、彼の日本の様子をおもしろおかしく僕は空港に迎えに来てくれた彼の弟に喋った。ルピアを円に換えるところがないことを知らなかったこと、エレベーターで車を移動する新しいモータープールを見たときの驚きの表情、わさびに目を白黒させたことなど、など。
 弟はどんな気持ちで聞いていたのか知らないが、あとでわかったことには、日本に来いと言われるとお金がかかるだろうから、僕はちょっと考えるな、と日本人の同僚に言ったらしい。日本で兄貴の方がどれほど実入りが良かったかはまだ知らないらしく、海外出張についてきちんと明確に規程を知らしめていないことを反省しつつも、態度の貧しさにちょっとがっかりしたのだった。軽口である。お金がかかりそうなことを言ったまでのことである。日本人のスタッフも僕に告げ口をしたのではない。兄と弟の関係におけるやや複雑な感情について、それを例に出して話しただけなのだ。
 吐いた軽口がその人間の人格的な印象を人に植え付けてしまうことがある。
「近所の人は餞別でもくれたのかな」
と聞くと、弟の方は、
「家族以外誰にも言ってないよ。もしも言ったもんなら、日本にまで行けるんだからお金を持ってると思い、みやげをねだりに来るし、ねたまれるしで大変だ。」
 うーん、それ以上話す気になれず、まあそんなものかと思ったのだった。
 グランブルーは盛況で何よりだったが、大阪でできることで勢いづいているかと思えば、妙に表情が堅い。まず一番行きたいと言っていた女性が怖気づき、両親に話してみないと、と言い始める。村で日本に行ったなどという噂でも広がれば、何を言われるかわからない、と思うのだろうか。それとも女の子だから親は心配するだろうし、決定権は親が持っているからなのだろうか。とにかく表情が以前と違っているのである。うーん。
 もうひとつ、ジゴロについて話を聞きまたうーんと感心して、バリに到着して3回うーんと唸ってしまった。


2001年7月25日
からまわり

  僕の身長は173cmである。バリ島で服を買おうと思えば、僕のサイズに合う服はSサイズでほとんどないに等しい。女性用も同様で日本人女性に合うサイズは探すのに苦労し、結局ない、ということが多い。
 僕は不思議でしかたないのだが、どうしてアジア人のサイズの服を作らないのか。
 オーストラリア人がおそらく観光客として多数になった時、サイズが決まってしまった。それからというもの、サイズの多様化は図っていないように思える。アジア人のサイズを作ればもっと販売力は上がるはずである。
 同じことだと思うが、僕はこれはたいへんなことだと思っている。自分を知らずして真似るこの国インドネシアのことである。
 アメリカは転職し、キャリアを積み、ステップアップしていこうとする社会である。このようにできる基礎は大学教育の普及と力強さにある。大学で仕事に役立つべく教育を受ける。会社に入ったら即戦力で使えるという人材教育がある。
 インドネシアでは大学にいくものはほんの少数である。日本も昔同じようだった。まだ使いものにならない新人に投資をして研修し、留学させたのである。それは終身雇用制と年功序列があったため、企業はそこまでしてでも人材を育てることができたのである。
 インドネシアは、転職が常識になっている。明日一円でも多く欲しいというのが大きな動機となっている。せっかく3年かけて教育をし、能力開発にお金をかけたのに、役立つようになる頃転職されたのでは、企業にとっては無駄でありリスクである。人材育成にお金がかけられないことになる。
 そうすると高卒の者は、能力開発をなされないまま、年を経ていくことになる。転職の習慣がなければ高卒の人も大卒の人以上に潜在的にもつ能力を伸ばすことができる。
 日本が戦後の経済成長をなしたのは、年功序列と終身雇用制がうまく機能したからであろう。それは互いに安心感の中で企業が不足している分の教育を実践できたからからなのである。その段階を経て、転職が一般化しつつあるように思う。
 インドネシアは教育の基盤がまだまだ弱いところにアメリカの先進的な「転職」を真似ている。今後の国づくりのたいへんな思い違いである。アフリカに、イギリスやフランス、ポルトガルやオランダは投資を続けたが、なんともならないのはヨーロッパの尺度でやろうとしても、結局はうまくいかず、サジを投げてしまった。こういうことがインドネシアに起こる可能性がある。富めるものはさらに富み、貧しい人々はいつまでも貧しい。教育の基盤のない国では転職はステップアップのように見えて、実は社会全体をステップアップさせていかないシステムだと思う。
 点検がなく真似ること、点検なく迎合してゆくことがいかなることになるか、スタッフを前にして声を大にするのだが、習慣化したものを変えるのは教育の充実しかないことに、そしてそれが長い年月かかることに、時々やりきれなさを感じるのである。


2001年7月29日
バリハイアットにて

 4年前のバリハイアットにはホテル内のガーデンツアーがあった。バリハイアットの庭は一冊の厚い写真集があるほどに充実していた。
 今回、そのガーデンツアーに参加しようと思って、バリハイアットに宿泊したのだったが、残念なことにこのツアーは廃止されていた。ガーデンの一部がスパになっていた。スバの充実に方針換えしたようだ。レストランには特別なスパメニューまであったから、バリ=エステ&スパの流れが定着したのだろう。
 それでもまだガーデンは充実している。ペリプラス社からインドネシアの熱帯の花の写真集が出ている。その写真集の花と実際の花を見比べながら、カメラにおさめひとつひとつの花を何らかのイメージにして、記憶した。
 さりとて花に詳しいわけではなく、桜の季節になれば桜を見、という風にしているだけで、積極的に花の名をおぼえたり、自ら育てたりしているわけではない。
 バリに来る度に、おやっと思う花があるので、だんだんと名前を覚えた。ただその名がバリ語名かインドネシア語名なので、日本語名がわからない。あったとしても音をカタカナにしたものが多いに違いない。
 それにしても英語名はつまらない。誰が初めにつけたのか知らないが、形象を名前にしているのが多い。百合の一種で、薄い花びらから細い神経のような線が伸びている(何というのかわからない)。繊細で、どこか毒でも含んでいるような危なっかしさと優雅さをあわせもっている。前回のバリ旅行で、僕の母は素敵な花だと漏らした。英語名をスパイダーリリーと言う。訳せば「クモ百合」である。トランペットフラワーというのも、安易な名だ。ラテン名のダトララ、バリ名のケチュブンの方がずっとよい。他のものの名前を借りているのがよくない。花を見る時に、「トランペット」を浮かべてしまう。
 名前は、そのものを縛り、相手をも縛る。その名前をさらに一般化された名をつけることによって、その花の持つイメージは狭小化され、限定されてしまう。名前を知らない方がよかったということもあり得る。
 さて、バリでは香り高い花は、神に捧げられる。神はこれほどエロチックな香りのする花を好むのかと、そして花は女であり、実は女性の化身として花があるのではないかと思ってしまうほどである。チュンパカ、サンダット、セダ・マラム。すべて姿かたちや色は控えめだが、放つ香りは高い。大きな木の先の方、先の方に咲く。ダダップダタップという花は、深い血の色をしている。遠くから見れば、青空を背景に赤い班点が散らばっているように見える。この花をお供えの中で見ないから、神にはふさわしくないと誰かが考えたのだろう。
 バリハイアットのガーデンを歩きながらいろいろなことを思う。花は歌や物語と繋がっているから、新しい物語などをイメージしていると、それは自分のあり得べからず、あるいはありたいとどこかで思っているところのストーリーに展開されていく。


2001年7月31日
この国のこと

 300もの民族がいて、それぞれの言語や文化が違い、しかも多くの島々からなるインドネシアは、宗教と政治を切り離すことで、スカルノ大統領という強大な権力者の支配でなんとかひとつの国を守ってきたと言える。
 スハルト体制が崩れ始めると、各地で民族闘争が起こり始めた。ワヒド大統領が一年と半、なんとかこの国を支えてきたが有効な経済対策が打ち出せず、ルピアは低下し、生活が改善されることなく、メガワティに政権が移った。副大統領がイスラム教の政治団体の代表である。メガワティがこけたら、イスラム教が政治を動かす国となる。ワヒド大統領以来確実にイスラム教の政治団体が政治に進出している。このイスラム教の政治進出に危ないと思ったのか、すかさずアメリカのブッシュ政権がインドネシア国軍を支援する旨を表明した。
 インドネシアは新たな段階に入ろうとしている。イスラム対アメリカという図式である。
 ヒンズー教徒が多数を占めるバリ島は、インドネシア政府の政治混乱による経済の弱体化の波をもろに受ける。よほど辛抱強い民族だと言わざるを得ない。ハイシーズンになると必ずこの3年の間、ジャカルタの政治に何かが起き、いっこうに3年以上前のような賑やかさが戻ってこないのである。そんなものなのだろうか、と思う。情けないとも思う。
 メガワティ大統領の舵取りにかかっている。挙国一致の連合政権で、アメリカと副大統領のバックにあるイスラム政治団体に気を使いながらさらに民主化を推進しなければならない。
 いくつもの重要な課題がある。相続税がかからないから、いつまでも大金持ち、土地持ちと一般庶民の貧富の差が縮まらない。税金を払うという意識が低いから、社会基盤の整備が進まない。今すぐできることもある。国を開く事である。具体的に言えば、パスポートの発行料をインドネシアの物価水準並みにすることである。出国税を無料にすることである。飛行機代も日本の2倍する。これも無茶な話である。外国人の投資促進においても、公平で安心できる環境を作ることである。諸手続きから生まれる利権を徹底して取り締まり、諸規程をきちんと公表し、ガラス張りの手続きにすることである。
 人々が行き交えやすくなれば、徐々に人々の意識は変わり始める。
 まずこの改革がなされれば大きな前進であると言える。するとこの国をどうしてゆけばいいのか、何が大事で何を拒否したらよいのか、なんとなく人々に伝染し始める。ただ、今日と明日だけを見、一ヵ月後、半年後、一年後、五年後、十年後と考えながら生活を送ろうとする人も増えてくる。この国の矛盾もいっぱい見えてくるはずで、逆にこの国のよいところも還りの視線から見えてくるはずである。
 スタッフたちを見ていると、しきりにこの国ということを考えてしまう。何とかしろよ、と言いたくなってくるのだ。


2001年8月1日
もどかしいくらいの遠さ

 いつものようにゆっくりと、だがしなければならないことはわかっているので穏やかに儀式の準備はすすめられていく。男性は一応の正装をし、女性たちは最も今流行している透け透けのクバヤに腰巻のスレンダン、そしてサルーンである。
 自分たち自らの文化を身をまとった時に見せるバリ人を見ていると、やっぱり日本人の男性は紋付に袴かなあ、と思ったりする。バリ人も日本人もとにかく洋服が似合わない。仏教徒であるエディはヒンズーの儀式には参加せず、式を見ている。年長者プジャナが儀式の進行を勤め、次の年長の者が聖水をまく。頭上で手を合わせ、神に祈る。次は花びらを手にしてまた頭上で手を合わせ祈る。米粒を髪の上、額につける。また祈る。マントラらしきものを唱える。歌が始まる。型にはまっているからか、慣れきっているからか、普段と別の人間のように思えてくる。
 バリスタイルのケーキが二つ並べられている。儀式が終わったあとのパーティ(というか食事会といおうか)用である。式が終わると僕に挨拶をしろと言う。挨拶を終えるとスピーカーからバカでかい音で「Happy Birthday To You」の歌がかかり、ケーキにナイフを入れろと言う。そこからが大はしゃぎである。ケーキを分けて食べ、紙折りに入ったナシチャンプルが配られる。ささやかな憩いのひとときであった。
 日本人同士だったら、その時の参加者の気持のあり様、しらけているとか義理で参加させられているとか、本当はしたいことがあるのに我慢しているとか、がわかるのだが、その辺はわからない。村にジョゲッド一座がやってきて、ゲラゲラと笑い、恥ずかしがり、興奮しまくって夜を過ごすのを見た時と同じように思える。
 彼らは何を祈ったのだろうか。この時ばかりは「言い訳の多いバリ人」も「明日なんて誰がわかるか、という行動パターンの多いバリ人」もどこかに飛んでいって、妙に素直で明るく神の子になってしまったような感じがする。
 ひれ伏す対象がない僕は、僕自身を客観化し、内省するしかなくそれがうまくできているかどうか、いつも心もとない気分でいる。浄化されきってしまったような自我もくそもないような世界についぞ行ったことがないのだ。それを羨望する気持もないことは確かで、バリ人の心のひだのようなところはやっぱり実感としてわからない。もどかしいくらいの遠さがあり、そして驚くべき近さも確かにあるのだが。


2001年8月2日
はや帰国

 今日は久しぶりに気温が一度ほど上がった。おそらく27度か28度くらいだろう。気持ちの良い日が続くので、こんな感じだったら6月、7月、8月とバリにいるのも悪くないと思う。4月は雨季から乾季の変わり目で最悪の気候である。避ける月は乾季から雨季への変わり目の10月、それに4月。次に避けたいのは3月、11月、12月、1月、2月であるが、花が咲き果物が美味しいのは雨季であるし、難しいところだ。僕は気温と湿度で言っているのである。
 もう帰る日が来た。一言でいえばいろいろあった。日本を離れていることでか、気分が解放的になっているのか、圧迫されるようなストレスはない。
 メガワティ大統領が歓迎されているのは、バリで暮らしている人々の声でわかる。警察官などももうこれでドンパチやらなくても済むと思っているし、ビジネスマンもこの辺でこの国が落ち着いてほしいと口にする。ルピアは急上昇をはじめ、買い付けをしに来た僕にはとんだ損だったが、ルピア上昇の気分は今のところインドネシアでは社会に勢いをつける。今日2日、観光客がクタに溢れ出した。朝のレギャンストリートの様子でわかる。日本人もドヒャっと来た。
 この時期のバリは「避暑地」である。暑さを避ける。ほどよい海の風にさらされる。強い日光を浴びる。熱帯のジャングルの酸素を身体に入れる。夜はめくるめくレゴンのダンスに酔いしれる。あるいは、一日中のたりのたりとホテルで過ごす。本を読む。
 さらに提案をひとつ。安い宿で良いコテッジやビラがある。ただ、日本的なもの、たとえば部屋が明るいとかシャンプーがついているとか、それはマタハリデパートで買えばよい。部屋が暗いと思ったら蛍光灯スタンドを買えばよい。とにかく安い。電気コードも4つのコンセントがあり5mのコードのあるものを買っておけばよい。シャンプー、リンス、蚊取り線香もしくはスプレーも揃っている。お茶は日本から持参する。お茶パックがあれば望ましい。ミルク好きの人がコーヒーを美味しく飲もうと思ったら、フレッシュミルクを日本から持ってきたらよい。栓抜きも忘れないで。
 そんなこんなで、旅先でくつろぐためには、くつろげる準備と段取りが必要だ。旅が多いとそんな知恵がいやおうなくついてくる。
 もう少しいたい、と思った。もっといたら、もっと何かがわかると思うがわかりすぎることもよくないと思う。そこそこに、ほどほどに。