| 2000年4月18日 鳥毛 清喜のこと バリ島は、雨季の頃と違って雨の匂いが遠ざかり、日中は澄んだ明るさとなって、空気は湿っぽさから乾いたようになりつつある。 今は、観光客は少ない頃で、名古屋からの直行便も70%ほどの乗客である。 前回の「僕のバリ日記」で、バリに住むガラス工芸家、鳥毛清喜のことを少し紹介した。ビン探しの為、雨が降れば洪水となる、電気もないくねくね道をやっとの思いで通り、とうとう海辺のそばの彼の工房を見つけたのは、3月中旬。 「昇ってみたくなる階段」さえできれば、レストランをやろうと思っていた僕は、彼との出会いで、レストランをやることに決めた。明日(19日)が、諸々の準備の為のスタート時である。この1ヶ月間でデザインもほぼ決まり、今日、彼からのデザイン説明を聞いたのである。 このレストランがうまくいくかどうからからない。ただ、彼と仕事を一緒にしようと思ったのは、彼は、伝統的なバリのスタイルやデザイン的なものにはこだわらず、全く完全に自分のスタイル、デザインで突き貫けてしまう創造力である。どのエステも、どのホテルも、どのレストランもとにかくバリ風なものを取り入れ、追求した挙句、屋根も床も壁も、みんな似たりよったりのものになっている。しかし、彼のデザインはインターナショナルである。 そして、インターナショナル性は、バリという小島のあるものをインターナショナルな美的感覚まで普遍化してしまうところにある。 2000年4月19日 中国系インドネシア人 中国人全部を批判するわけではないが、幾人かのバリで小さな商売をしている中国系インドネシア人たちのマネージメント方式に共通点がある。 1)こまめな秘密主義 仕入先などは絶対秘密にする。 2)バリ人をバカにしている いっしょに仕事をしていくという意識がなく、バリ人を心の底から 「仕事が出来ない人」「安く使える人」と思っているような感じが伝わってくる。 3)家族、親戚など血縁の関係を重んじる 自分以外なら、親、兄弟姉妹、その妻、または夫。 この関係なら、店の見張り番ぐらいにしてもよいと考えていると感じられる。 1)+2)+3)がインドネシア人に蓄積してゆけば、それらの感情は、何かチャンスがあれば爆発するのは当然だろうと思われる。ジャカルタでの暴動で、中国系インドネシア人が狙われたのは、わかるような気がするのだ。 これら幾つかの中国系の店の店員に失礼ながら給料を聞いてみると、インドネシア労働法で定められた最低賃金18万ルピア(2600円くらい)ということだ。この不満が一番おおきいのだが、承知して仕事している以上文句は言えない、と言ったところだ。 上記の中国系インドネシア人とは違う思いなり、方針なりを持っている中国系インドネシア人に出会ったら、不公平にならないよう、ここで紹介したい。 2000年4月20日 Ida Bagus 〜 の無意識 例えば、バリ・ブックツリーのマーケティング・マネージャーは Ida Bagus Oka Suwardanaである。経理担当のマネージャーは Ida Bagus Suparsa である。OkaとSuparusaが探してきた経理のプロは Ida Ayu Dayu である。Idaはバリカーストでは、僧侶の階級であり、一番高い位であるとされている。Bagusは男性につけ、Ayuは女性につける。 大きな儀式には、これら僧侶の代表格みたいな人が中心的な役割を果たすが、Idaとつく者が儀式のお手伝いをする。 今日は、エステサロン「エステ・デ・マッサ」の完成及びオープンの日となったのは、バリヒンズー教では日が良いためである。20日を逃すと次は28日となってしまう。当然、エステサロンのコンサルタントを引き受けている我々は、この儀式の手配も行う。そして、当然我々のスタッフのIdaたちは神に捧げる為の鶏を殺すのも、供物を穴に埋めるのも、儀式に付随するすべてのお手伝いをする。これが、今日午後4時の話である。 話を戻して、午前11時。今日の「シェフ募集」の新聞広告を見て、メインシェフに応募したいと履歴書をもってバリの男性がやって来た。名前を聞くと、Ida Bagus 〜と言う。するとOkaは咄嗟に安心したのか親近感を表し、気楽に話しはじめた。 ここで疑問が湧いたのである。Idaという階級の者達は、大きな階級としての家族意識のようなものを持っているのではないか。そういえば、貴族階級をのぞき、他の階級の人たちにどうもとっつきが悪く、信用するまで時間がかかり、心の底では、どういう人間かわからないという慎重さを示す時が多い。 僕はそういうことにはお構いなく、「目」だけで人材を選んでいるので、Idaたちは本当はハラハラしているのかも知れない。 「本当のことを言ってほしい。君らはIda以外の人たちと自分たちを区別しているのではないか。今日感じたんだけど、本当の祖父でないのに今日来てくれた僧侶を「お祖父さん」と呼んだり面接に来た男性にはたいへん親近感を持ったようだし。逆にマデとか、別の階級の人に接する時は相当慎重のような気がする。階級によって人を上に見たり、下に見たりすることがあるのかい」と口火を切った。 Okaが答えた。 「同じIdaでも人によって違うと思う。Idaと名がついていても泥棒する者もいる。酒乱の者もいる。僕の場合、カーストは儀式の時に出てくるだけで、日常生活ではなんの差もなく、人間は平等だと思っている。」 なるほどと思う。だが言葉が意識的すぎる。 「我々の心は意識の世界と無意識の世界に二重になっているんだ。無意識の世界と意識の世界は互いに行ったり来たりするけれど、僕らは君らの無意識の世界がどうなっているか知りたいんだ。意識=言語なんだ。Okaの言葉は意識の世界だと思うが。Suparsaこの点どうだい。」 ともっと深めて質問してみる。 Suparsaは思慮深い男性で、20代、30代、40台は精神の修行中だからと出会った頃よく言っていた。 「オレはブラークマナ(僧侶)で、シュードラとは違うんだ、みたいな気持はないかい。ドライバーをしていた時に、よくこれも修行中なんだと言ってたよね。」 Suparsaは 「シュードラの人の豪華な通過儀礼が寺で行われる時、腹立たしい気持があった。」 僕は続ける。 「アクエリアスのホテルのオーナーはマデと言い、シュードラだけど、彼は君らブラーフマナの人間には嫉妬はしないのかい。」 Okaが答える。 「それは絶対ないと思う。ただ僕らブラーフマナはブラーフマナであることを誇りにしていると思う。バリはブラーフマナとサトリア(王族)、ウエーシェ(士族・商人)はたった10%で、例えばマデという人と会った場合、東ジャワのマデなのか西ジャワ、南ジャワのマデなのか、その人の出自がよくわからない。だからよくわかるまで慎重になる。しかし、ブラーフマナつまりIdaと聞けば、どこのIdaとすぐにわかるので初めから慎重にならずにすむ....」 日本人が同郷の者で集まったり、県単位で集まったりするのと似ているのかも知れない。 「僕がマネージャーとしてシュードラの人を雇っても、君らは嫌がったりはしないかい。本当はするような気がするんだけど。」 Okaは 「それはない。あなたは、この会社で必要なことは、いかに仕事がやれるかというのと語学力だと言っている。それによって給料もポジションも変ってゆく、と言っているし僕らもそれで了解している。自分より能力のあるものが必要時に上につくのは当然だ。日常生活のはこれはバリ人みんなが了解していることだ。」 このように聞いても、本当のところはわからない 自分達が特別な人間だ、という思いがあれば、きっと彼らは特別な人間だ、と思われるに違いない。儀式の時、Idaたちは精を出し、他の人たちはその進行を見ている。これは我々がキリスト教であれ仏教であれ、神道式であれ何かの儀式をする時、神父やら、お坊さんやら、神主や巫女たちが、その進行をしてくれているのを我々が見ており、そこに特別な階級の意識や区別・差別の意識などないのと同じなのかも知れない。しかし、カーストとして残存している以上...という思いが立つ。依然わからない。 2000年4月24日 位の高い人 外国の地で日本人が日本人を避ける人がいる。せっかく外国に来たのだから、わざわざ日本人にちかづくことはない、という気持はわかるのだがそれは狭量な気がする。 また外国旅行の経験が中途半端に多い人がバリ島などに来ると、物事を比較でしか言わない人がいる。これも困ったもので、水平的に比較して、アメリカはああだ、こうだ、それに比べてバリはこうだ、とバリ人の日本人から見た「いたらなさ」をいくら言っても、つまり言えば言うだけ言っている本人の品位というか人間としての位が下がってしまう。 今日、ヤーマの店に買物をしに来てくれた鹿児島の女性2人は、気持の良いくらい、外国旅行の素人っぽさがあった。外国旅行にスレていないという感じだろうか。僕が声をかけてもおびえたり、敬遠したり、うっとうしがったりしない。 ちょうど、ハイビスカスティーを試作中だったので試飲してもらった。話をしていると二人とも3月で仕事を辞め、Mさんは別の会社に5月から再就職、Yさんは海外青年協力隊の一員として、2年間シリアに行くという。Yさんは無性に何かを追いかけている無意識がMさんより露わである。シリアでどんな経験をしながら24才、25才となっていくのだろう。シリアでの仕事を終えたのち、スペインに留学したいと思っている。どうなっていくのかは、誰にもわからないが、自分の今持てる能力をさらに発展させて、自分の心の中に宿っている漠然とした<未知なるもの>を捕まえたいと思っている。 とっても良い感じの若い二人で、若いということがちょっぴり羨ましいと思った。まだ<往き>だけを思い、考え、悩み、漂い、進みしてゆけばよい。 2000年4月26日 NHK「地球ラジオ」にでるぞー! バリの若い女性たちは、この頃はいろいろなマニキュアを使っているが、時に花の色を爪に移して楽しむが、マニキュア登場まで普通だった。夜寝る前に、ガーデニアという花の花びらをつぶして石の粉でまぜて爪につけておく。10分くらいもすると爪が染め上がっている、という感じだ。 ハイビスカスの葉は、髪を洗う時に使う。髪は黒々とつややかになる。このことは先のバリ日記でも伝えたので、省略する。 昔から科学的な根拠はわからないだろうけど、植物がいろいろな風に使われている。日本でもそうだったのだろうが、やっぱり不便さゆえにすたれてしまったのだろう。 植物のことがおもしろいので、NHKの「地球ラジオ」(土曜日の夜6:00から)に情報を提供した。すると、早速の話だが、ゴールディンウィークに入る4月29日(土)の6:05からバリ島からの情報を伝えてくれないか、ということになり、生出演することになった。 尾鷲弁丸出しの声がラジオで流れることになる。 書くことより話すことの方が難しいと思う。しかしながら、みなさん、よかったら聞いてください。 2000年4月29日 ブサキ寺院 ブサキ寺院は、バリヒンズー教の総本山である。5年前に200年に一度と言われる盛大な祭りがあったが、今年も何やら大きな祭りが一週間にわたってあったようだ。 会社の女性スタッフたちが、夜の10時に店を閉めてからみんなでブサキ寺院にお参りに行くという。着飾り、化粧をし、女たちだけで行く。どうして、男友達ともいっしょに行かないのか、と尋ねたら、頭を指して、祈りに集中できないから、ダメとされているようで、彼女たちもそう思っている。祈りの場所はデートの場所ではないと言いたいようだ。 朝の6時までブサキ寺院内で時と費やし、その日は約2時間の睡眠だったらしい。 さて、神への祈り、神への捧げ物のことに話は移るが、供物に入れる花々は香り花や化粧花ばかりだ。女たちは着飾り、香水をつけ、化粧をする。神々は女性を好むのだろうか。どこか妖しい交歓の雰囲気がある。 2000年5月3日 妊娠した バリ・ヒンズー教では、堕胎は禁じられている。 この頃のバリ島の若い世代の親は子供は2人で上等だと思っている。 リゾートしている側から見れば、バリ島は時間がゆっくりと進み、人々は神々に祈りを捧げて、一日がなんと平穏に過ぎてゆくかと思われるだろうが、そこには劇場国家たるゆえんのところである。 人々は、観光客側から見れば演じ手の一人だという風になる。 確かにバリ島は豊かである。お金がない、貧しいとマデやニョマンが言ってもこちらから言えば「そんなはずねえだろ」となる。 「バナナがそこら辺に生えていて、庭のあちこちにハーブがあり果物があるところなんて、めったにないだろ」と言いたくなる。 さて、堕胎についてである。スタッフの二人が妊娠した。Aは二人目の子供。Tは三人目の子供ができているのかも知れないのである。今日、病院の検査でわかる。 Aはこの成り行きを、人に気持を表すことなく自分の中で受け止めて、淡々としている。一方、Tは仕事場でも、時に泣き、堕ろしたいと言い、それはダメだと若い人から言われ、ただただ三人目の子供ができることによって現在の家庭や家計、あるいは夫に及ぼす影響が大であることを気にして病んでいる。 昔は三人や四人、五人の兄弟姉妹はざらだった。日本も同様である。それでもなんとか生活ができていった。しかし、今のバリでは三人は相当苦しそうである。教育を受けさせたい。テレビなども買って楽しみたい。できたら親と離れて核家族化したい。亭主は安月給で、職も転々とする。自分も働かなければならない。 Tはどうするのか、僕にはわからないが、ほんの二ヶ月程亭主がシンガポールへ行くと言って出て行って、悲しみ、嘆き、よし一人で頑張ろうと思っていたら、またふと帰ってきて、元のサヤに収まり、という顛末の後のことだった。 Tのマッサージ技術は素晴らしく、そんじょそこらのマッサージ師ではない。天性のものをもっている。 日本人以上に倫理的であり、宗教的だから、普通生活者の立場との板ばさみでTは悩む。男はどんな顔をしているのか見たいものだが、案外ケロットとしているのかも知れない。バリ島は女の方がよく働き、よくやる、という印象が僕には強いのだ。Tは今日は休み、明日はどんな顔をしてくるのやら、心配である。 2000年5月4日 神経症と遊び 日本人は戦後から現在に至るまでの間で、何を身に付けたか、を一言で言えば、<神経症>だと思う。 健康グッズ、抗菌グッズが流行し、美容に精を出し、ニキビひとつできることを嫌う。 オウム真理教などの新新興宗教も、信者たちの中にある貧困や飢えから来る恐れや不安ではなく、物質的には充たされていながらの〈何ともいえない不安感〉という神経症っぽいものからきているのではないか。ばい菌が殺しに来るのが見えるわけでもないのに、心の中でばい菌が見えてしまう。それを恐れ、いつも清潔にし、汚れを毛嫌いする。0−157の事件などは、日本人を象徴するような出来事だった。ダイエットをしていたらそのまま拒食症になっています人、いつも自分はどこか悪いのではないか、と思う人、いつも薬を飲んでいなければ不調を感じる人… 日本人の全体的な像はこのようなものだ。 もうひとつ、これは明るい面であるが、老人が元気になった。ただし、これは明治、大正生まれの老人で、昭和生まれ、それも昭和10年代はこれからというところだからまだ未知ではあるが、昔だったら姥捨て的なイメージが老人にはあったが、今は老人は結構遊びを楽しんでいる。<病気不安症>はこれはしかたない年齢のような気もするが、度を越した神経症でもなく、適度に遊んでいるように思える。充たされぬ思いはいっぱいあるだろうが、昔の老人に比べて相当環境がよくなったのではないだろうか。 要するに戦後、我々が身につけたのは<神経症>と<遊び>である。バリ島はまで、この二つはない。 2000年5月7日 不思議に共通するもの ドアを閉めて、部屋の中で仕事をしていたら店の方で、何やら日本の民謡のようなものが聞こえてきた。誰かCDでも持ってきてかけてるのだろうかと思い、ドアを開けると日本民謡のような音楽がジェゴク(竹の大合奏)に変った。つまりジェゴクの音の中で遠く離れた聞こえない部分があり(たぶん高音部だと思うが)、その部分が聞こえないと日本の民謡のように聞こえるのである。 これは、以前体験し驚いたことである。 今日は、またおもしろいことに気がついた。マッサージルームでマッサージを受けているとレセプションの女性達が何やらひそひそ話をしている。これも幾つかのドア越しで、聞いていると日本語に聞こえるのである。 あるいは、日本の着物をバリの暑さの基準まではぎとってゆくとバリの腰巻になってしまう。 たぶん、バリの方から日本にも多くの人たちが入ってきたのだろう。おそらく朝鮮半島から多くの人々が入ってくる以前、海上の道をやってきたのだろう。 言葉や音楽の中にそんな大昔のものが残っているのかもしれない。 こういう共通点を実感するのは、妙な気持だ。 現在の言語や地名などをさぐっていけば、日本人のルーツの一部も見えてくるだろう。 2000年5月8日 マジックパワー 今回のバリ滞在は思ったよりも長引き、なかなか帰れないでいる。涼しい日が続き過ごしやすいのだが、相当に疲れがたまってきた。 さて、さらに疲れがたまる話。朝、事務所でイダが、まじめな顔をして、ちょっと話がある、という。 「モトキさんが信じるか信じないか、それは別として、僕が管理しているお金300万ルピアが失くなったのです。プトゥも一週間程前、オカも二週間前、持っていたお金の一部が失くなっておかしいなぁ、と思っていたところ、今度は僕だったので。3つ考えられるのです。どろぼうがいるか、自分達の思い違いか、マジックパワーか」 僕は、「それはどろぼうに決まっているじゃないか」と言うと、イダは「マジックパワーだと思うので、実は今日、プリーストに行って、おまじないしてもらいたい」と言う。 今まではマジックパワーの話を気楽に聞いていたが、今回のことは笑っていられない。 「イダ、今回は事情が違うので、マジックパワーを僕は認めるわけにはいかない。君がプリーストのところへ行くのは勝手だ。失くしたお金は自分で賠償するのだから。けど、このようなことがマジックパワーで片付けられていたら、お金が失くなればマジックパワーのせいで、誰でも簡単に物を盗めるじゃないか。ここは、まずお金の管理の仕方を今日から変える。それから重たい、容易には開けられない金庫を買おう。それに僕がバリにいるのでデイリーリポートが途切れていたが、僕がバリにいる間も毎日やろう。」 と指示した。 マジックパワーはマジックパワーを信じる人だけに通じるのだそうだ。バリでは兄弟姉妹や親戚どうしのねたみ合いが多いという。「わら人形」に釘を打つようなことが多いというのだ。このようなことは僕には不気味でもなんでもないが、厄介なことだ。大事なことがマジックパワーで片付けられてしまうことがあるのだ。 2000年5月9日 薄気味悪い いつまで経っても、バリで薄気味が悪いのは、路上でたむろしている男達だ。 店の辺りでいつもたむろしているのは、だいたいが妻かガールフレンドが仕事を終えるのを待っているのか、何かお金になることはないか、物色している。たとえば、白タクの運ちゃんとかポン引きとかである。 ヤーマの道路をはさんで向かいに昼間、ニセモノの時計や香水を売っている出店があり、そこにはいつも5,6人の男が座って、何やら話をしたりしている。僕とよく目を合わす。いつもこの店をうかがっているようで、何だか不気味である。 ある日、その男達の中に入っていって、話をする契機にニセモノの時計を買ってみた。一人は時計を売り、一人はオモチャのようなものを売っている。白タクのものもいる。職がなく、観光客を捕まえては、何を買いたいのか聞き、わかるとそれを売って言うお店に連れて行き、店からお礼をもらう、そんな男もいる。気さくな、人の良さそうな男ばかりだ。 話をすると不気味さも消えるのだが、知らない人だといつまだたっても不気味に思える。 この正体がまだよくわからない。 2000年5月14日 地球の歩き方 昨夜、激しい雨が夜中から降り始め、朝まで続いた。レギャン、クタはいつものように洪水状態だろうと思いながら寝た。 バリに来たのはいつだったのかも忘れてしまい、今日何曜日で何日なのかもわからず、それはあくまでも部屋にカレンダーがないのと、日と曜日がついていない時計を持ってきたからだと、改めて気づく。 朝十時も過ぎると、すっかり空は晴れ上がった。毎日、涼しく良い日が続いている。部屋では、クーラーは要らない。 食器がようやく見つかった。バリはどこもかしこも五つ星ホテルは、ジェンガラという会社の陶器を使っていて、独占状態の為、注文すると5ヶ月はかかり、とても8月1日のオープンには間に合わない。ジェンガラのものはデザイン的にはバリにある陶器屋さんの中では群を抜いて良い。しかし、重たい。重すぎるのが欠点である。日本の陶器のような洗練さはなく、ただ土の香りがする、というのが特徴かもしれない。僕は土の香りをするような、重たいものは求めていないが、ここしかないとなったら、しかたがないかとあきらめていた。灯台元くらしで、デンパサールのデパートに行ったら、期待しているものがあった。スラバヤに会社があるという。早速連絡をとり、バリの出張所のスタッフがすぐやってきて話し合い、これにて食器問題が解決した。 5ヶ月も待たせて平然としているジェンガラのスタッフ及び社長の横柄な態度に気分を悪くしていたので、すっきりしたのである。 そうこうしていたら、「地球のあるき方」の取材があった。24才の若い女性が、クタ、レギャン、スミニャックを担当し、3週間滞在して取材するのだそうだ。彼女は、役得でカルティカプラザホテルに無料で滞在し、取材しているのだそうだ。ガイドブックの影響力は大きい。広告代にすれば大変なものだ。 日本では、有名旅行雑誌が3つある。つまり3つの旅行雑誌のたかだか20代の娘のセンスによる取材で、バリの店も影響される。逆に言えば、どうしても取材しなければ編集員として恥になってしまうような店作りをすれば良いということにもなる。 おもしろいのだ。 「役得ですよ」と恥ずかしそうにその取材編集員は連発していた。 しかし、ここで今後、彼女は鼻もちならなくなったら終わりだ。バリ島を旅行しようと思っている人に、ガイドブックでどれだけのサービスをしてあげられるか、あるいは、その雑誌を読んで、よしバリに行こうと思わせるか、ここが彼女の勝負である。たぶん、人はそのような雑誌を作りたいという気概で働いている。どの職でもその仕事の本分がわかれば、気概はでてくるものである。 バリ島は、僕にもまだ不思議な島だ。旅行者は不思議さで、魔術にかかったみたいになるだろう。旅とはそのようなものであり、ガイドブックはそれのお手伝いをするというわけだ。 |