No.1(1999/10/29〜11/12)

1999年10月29日
バリ日記スタート

今日からバリに来るたびに、日記を書きます。 3年、4年と続ければ、バリの様子も僕のビジネスの様子も解ってくるでしょう。つたない文ですが、よろしくお願いします。


1999年10月30日
賄賂の構造

この国は、スハルトを頂点として「賄賂」が一般庶民のすみずみまで構造として成り立っているのです。でも村や家に帰れば、信仰心の厚い、いわば善良な人々が圧倒的なのでしょう。
警察官や公務員の給料が銀行員に比べて低すぎることも、賄賂の原因になっています。ですから賞金は、給料の一部として、お金を持っている側が負担する、という考え方をしておかないと、イライラして納得できません。
税務署、入国管理、空港の荷物重量検査、あらゆる機会を利用して賄賂を求めます。


人間はグチャグチャだ
善を象徴する「バロン」が悪を象徴する「ランダ」を作り、そのバロンとランダが永久に戦いつづける、という話はバリでよく聞く事です。悪のランダをねんごろに奉れば、ランダは人々や村を守ってくれると信じ、サヌールなどではバロンよりもランダの方をねんごろに奉っています。
人間が「善」だと思ってやっていることの裏返しは「悪」であることも、「悪」だと思ってやっていることが、「善」であることも多い。我々人間の生活は、バリ島では割合にはっきりとその考えを打ち出しているようです。
朝、必ず神にお供えをし、寺の創立日でオダランの時などは、女性も男性も聖水(ティルタ・サリ)をかけてもらって身を浄める、という風景のその隣りで、闘鶏に興じている寺院内の風景を見ると、「人間なんて、グチャグチャだ」という認識が深いところにあって、という気もするのです。「それでいいんだ」みたいに思っているところがあるような気がするのです。この辺は、もっと考えてみたく、人間というものの「原像」に近づける手がかりになるかもしれない、と思ったりします。


本日宿泊のホテルは
レギャンストリートのアクエリアスホテル。朝食つき、税、サービス料込みで、20ドル。部屋は一流ホテルのレギュラーより広くエアコン、バスタブ、TVもある。驚くほど気楽で、便利。レストランもレギャンでは一番安いくらいで、おいしい。


1999年10月31日
まだ賄賂の話

さて、これまでの観光客世界のバリと、ビジネス世界のバリは様相がまったく違うということを今回の旅行で思い知りました。日本の新聞などですぐに投書したがる善良な市民や筑紫哲也のようのきれい事ばかりを言っている人は、バリ島には住めないのかもしれません。
空港のイミグレーションでパスポートを見せますね。あのパスポートに例えば広告用パンフレットをはさんでもらったら、すべての観光客にパンフがいきわたりますよね。これ、O.Kなのです。もちろん‘賄賂’です。
僕のビザは、一回きりの長期(一年)滞在で労働もできるビザです。日本の領事館では、初めての人はまずこのビザになります。このビザを持つと、バリに到着してから一週間以内に入国管理事務所に行き、イエローカード(外国人居住証明書)を発行してもらわなければなりません。このカードを持つと、バリから日本が一年以内に何度でも往復できるのです。ただし、バリから出国する際、約3万円の税金を支払わなければなりません。それで僕はイエローカードは要らないから、マルチビザに切り替えたい、と言ったのです。マルチビザはジャカルタで申し込むのですが、申し込みをしてくれる代理人というのがいるのです。マルチビザをとるのに4万〜5万かかると言います。
そしたら、入国管理事務所の担当員は、「ドゥント ウォーリ、ユー コンタクトミー、ビフォーゴーイング バック ジャパン、アイテイクユー トゥ ジ エアーポート」と言うのです。あれあれまたかよ、薄気味悪いなと思いながら渋い顔をしていると、親切そうに笑い、上司も仲間もみんないるところで「イフ アイテイク ユー、タックス 100万ルピア O.K?」 参ったぜ、という感じです。安い給料を補う一部だと考えざるを得ません。
税金申告はどの会社も、税務署員に申告書を書いてもらう。まあ、これでは消費税や印紙税くらいしか入ってこない政府は、バリ島の道を拡幅したり、新しい道を作ったり、地下鉄を走らせたりすることはとても無理かもしれません。


果物の季節
今は、バリ島は雨季。夕方とか夜、突然に雨が降り始めます。湿気が多く、洗濯物も夜から朝の間まで乾きません。この季節は、タンプータンというとげとげのある赤い果物や果物の王様といわれるドリアンの収穫時期です。果物の女王とよばれるマンゴスチンは本来3月ですが、スーパーでは出でいます。
ヌサドゥアやサヌール、ジンバラン、ウブドでは時間がゆっくり過ぎ、プールサイドで日がな本を読んでいでは時に泳いだり、レゴンダンスやケチャを見たりという静かで穏やかな日々が過ぎているでしょう。
レギャン通りからスミニャック通りは、良い店がたくさん並んでいます。もしも一人で歩くのなら、ブルータクシーに人にガードしてもらうのが安心です。昨日、僕は、ひったくりの泥棒事件を2件スミニャックで見ました。万が一ひったくられたら、大声を出すのが良いようです。店の人たちが一斉に出で来て泥棒を追いかけていました。二人で歩き、そこにいつも見張ってくれる人がいればパーフェクトです。
知らない人と握手をするのは禁物です。どうしてだかわかりません。みんなそれを信じています。魔術をかけられる、というのです。


バリの大工さん
6人の大工さんた左官屋さんが、店の改装をやっています。バリ独特の火山岩のような白い石を割る人、それを貼る人、まあ、そのスピードは日本人の半分以下です。遅いのです。玄関にドアがまだつかないので、2人の人が土間で寝泊りしています。毛布などはなにもなく痛いだろうなと思うけどそれが当たり前のようだから「毛布を買おうか」などと言えません。
大工のボスは、ただただ何もしません。監督するだけです。徴密に仕上げるという感覚もないようで、その点はいちいち細かく指示しなければなりません。毎日14〜15時間くらい働いています。
彼らは、貧乏そうですが、人がたいへん良さそうな人たちです。僕は、夜中に差し入れをしたり、チップをやって「これで一服でもしてくれ」など言っているのですっかり気に入られています。仕事のスピードアップのためなのですが、彼らには、ただ日本人は気前がいいという風にしか思ってないみたいだ。


1999年11月2日
バリタクシー

親切で良心的なメーター付きタクシーといえば、青色のバリタクシーでした。このタクシーに乗ると、本当に厄介な交渉も、メーターがあるにもかかわらずそれを無視してかかる運転手のイヤらしさを体験することなく安心して目的地までいけるのでした。食事をする時間もカウントすることなく、待っていてくれてそれはそれは良いタクシーでした。
ところが今回バリに来て、この青いタクシーが見当たらないのです。聞くと、全部この前の暴動で燃やされたらしいのです。暴動に乗じたイヤな野郎もいたもんだ、と苦々しく思っています。しかし、この暴動のおかげで、メガワティが副大統領になれた、ともっぱらの話です。ぎせいはバリタクシー。たいへん同情しています。出る杭は打たれる。もう出すぎて打たれづらいと思っていたら、暴動の力は、根こそぎと言うイメージです。


バリ・アガ(先住民の村)
さて、以前、トゥルーニャンという先住民の村(バリ・アガ)に湖を渡って行ったことがあります。風習がバリ人たちとは全然違うのですが、代表的なのは、この村は風葬をしているということです。死体を風にさらすわけですが、まったくいやな匂いなどはしません。大きな木の下に死体を置くのですが、その木が匂いを消すのだそうでう。その気の名前をメモしたのですが、今ちょっと思い出せません。
この村までは、実に旅をしたと言う感じでした。バトゥール湖を小さなボートで渡る時、漁をしている女性の歌声が湖面に響きトゥルーニャンに近づくと裸の子供たちが船着場のところで、一体誰が来るのかいう好奇心を集団で見せています。
小さな小さな村でした。ひっそりとしていました。人々はどのように生きているのか不思議でした。
バリにダブルイカットやアッタの編物で有名なテガナンというやはりバリ・アガがありますが、この村もひっそりしていました。他のバリの村とは、雰囲気がまるで違います。
二つの村の共通したところは、イカットという織物の有名な生産地であることです。テガナンのイカットは、バリのたて糸も横糸も5年も10年もかけて染め、その糸をこまやかに織っていきます。テガナンのイカットは、バリの葬儀などで使われ、普通の人々は買えないので、貸し借りをしているほど必要で貴重なものとされています。
色には、それぞれ意味があり、色の意味を組み合わせ全体的な意味を持つように織り込んでいくようです。
テガナンもトゥルーニャンも静かでひっそりとしているのは、家の中で黙々と織物をしている人が多いからなのかもしれません。この気の遠くなるような根気、しかも手をぬいていないことは仕上がりを見たらわかります。
アッタの編物も堅牢で素敵ですが、出来上がりに、他の編物とは違う(日本の竹籠のようなもの)、強固さを感じさせます。
なぜ、二つの村だけが、混合してゆくことなく、今もなお存続しているのか、興味深いのですが、僕は知りません。
経済的に維持しつづけることができたからなのでしょうが。その維持には強い矜持と作り上げることへの並々ならぬ自信があったのかも知れません。そのような意志がどのようにできたのか、この村の長老たちは知っているのでしょう。あるいはまた、二つの村は維持に非常に苦しんでいるのかも知れません。
僕のようなたんなる異国での情緒に自分を浸しているような旅行者には、歴史の重層は見えません。誰か詳しい人がいましたら、ぜひとも教えてください。

バリの女性の名前
バリの女性の名前に、バリの花の名前が多いことを知ってなんだか気持ちがなごみました。
バリの会社のスタッフIda Bagus Oka Suwardana の奥さんは、Jro Champak といいます。チャンパカというとても香りのよい黄色いバリを代表する花です。オカのお兄さんの奥さんは、Jro Sandat といい、Sandat が花の名です。この花は、薄緑色でやはり美しい香りがします。
バリには、姓がなくカーストの階級をあらわすもの、次に長男か次男かなどをあらわすもの、最後に本人の名前がきます。
Ida Bagus Oka Suwardana は、Brahmana (僧侶の階級)で第一番目ですが、そこに Sudra (一番下のいわば肉体労働者の階級)からオカの家に嫁いできた彼女は、名前を変える必要があるのです。それで Jro Chanpak としたのです。因に Jro は下の階級から嫁いできた人が必ずつけるものです。同じ階級どうしなら、名前を変える必要はありません。
カースト制度は、儀式の時を契機にその姿をあらわしますが、普段は自由に恋愛し、どのカーストへの移行も女性なら自由なようです。男性の職業選択も自由ですが、 Brahmana にだけにはなれないようです。


1999年11月4日
アクエリアスホテル

今日は、僕の泊まっているホテルを紹介します。日本のガイドブックでも旅行代理店でも紹介されておりません。
安くしあげたい人、ビジネスマンの方にはいいかもしれません。
まず場所ですが、レギャン通りにあります。レギャン通りも南から北まで長いのですが、レギャン通りの起点ベモコーナーから北へ歩いて5分。マタハリレギャンデパートから南へ5分。つまりベモコーナーとマタハリレギャンの中間点で、ホテルトラウイタの斜め前が、ここ「アクエリアスホテル」です。
部屋はいろいろですが、エアコン、TV,冷蔵庫のある部屋は、帝国ホテルのレギュラーより広く、そして清潔でもあります。プールもあります。それで朝食付き、税、サービス料込みで20ドルです。二人で泊まったら10ドルということになります。一人気ままに旅行している客が多く、すぐになぜが仲良くなってしまいます。オーストラリアの女性で、毎日毎日一生懸命10年働いて、やっとまとまった休みがとれたので、2ヶ月間旅行をしているのだそうです。得意気にイギリス、スイス、オーストリア、イタリアなどを旅行したこと、最後はバリでのんびりして、また仕事に戻るのだそうです。
このホテルの右斜め前にあるシーフードの店は、べらぼうに高いので要注意です。同じ店にシーフードのコーナーとバーのコーナーに分かれています。バーのコーナーに案内されてシーフードを食べていたら、妙なことに気が付きました。カウンターに女性が一つ一つ席を空けて座っているのです。時間が経つにつれて女性の隣りにオーストラリアの男性が座り始めるのです。つまり女性たちは、売春婦なのです。
隣りに座って、話しかけてくる男性を拒否することなく話をし、男性も話をすることでチェックしているようです。「アクエリアスホテル」の周囲にはそんな店もあるのですが安全なところです。
特筆すべきは、ここのレストランでしょう。どれも美味しく、日本食が恋しくなりません。中華、ステーキ、パスタ類、シーフード、インドネシア料理とあり、ここのコックはたいへん上手だと思います。それに驚くほど安いのです。
僕の好きなソト マドラ(具のいっぱい入ったインドネシアのスープ)と焼き鳥のサテ、白いご飯、野菜など合計で20000ルピアかかりません。350円かからないわけです。もちろんワルン(バリの人々がいくレストラン)で食べれば、その半分くらいですが、外国人用レストランとしてはとても安く上等だと思います。高級ホテルのレストランよりは美味しいのは保証します。
ホテルのスタッフも暇そうに、ティンクリック(竹の楽器)の練習をしたり、女の子たちスタッフは窓もドアもない柱だけの台(どこの家にもそんな場所がある)というかそういうところに集まってテレビを見たりしています。クリーニングや部屋の掃除は彼女らがするのです。レギャン通りは、車が多いのですが20メートルも奥に入るとのんびりしたバリの人々の生活を感じます。


1999年11月5日
いいじゃないか

日本人女性がバリの男性に魅かれて恋に陥る。お金までも日本から送金する。男性側の方には、そういう日本人女性が何人かいて、ローテーションを組んで、それが仕事だと割り切っている。
そんな報道番組をNHKかどこかで、2年前に見たことがあります。かなりの現地密着の隠し撮りもやっていて迫力がありました。男性の顔がぼやけたりすると、とたんにあやしげになり画面に迫力がでるものだなあと思ったりしましたが、こんなテレビのお節介にはあきれたもので、いかにも男買いをする日本人女性を批判するような視点で、これを作った人間はどんな奴なんだと思いました。恋愛なんか勝手にやればいいじゃないか。だまされていたとしてもすきになっちゃうことなんてのはよくある話だし、お金を送るとかいうのもそのときの関係性のことだし、何が悪いの?と言いたくなります。
インターネットでヤフーの掲示板なんかのぞいても、男と女のああでもないこうでもない、私はやっぱりだまされているのかしら、でも・・・・みたいな話に結構、メールで励ましやらお説教やら同情やらが集まっていておもしろいのです。
こういう、政治とか経済とか違った日常の人間の心の動き方みたいなことの方が、のぞく側としてはおもしろいのです。
日本の女性とバリの男性。きっと話す言葉は、動物語なんでしょうね。言葉なんて最小限でいい。「アハハ」とか「何それー」とか「わぁ、おいしい」とか、それでも人間というのは、優しさとかたくましさとか、何か心で感じていることがお互いにわかるんですよね。
今日も日本人の女性をエスコートしている男性をたくさん見ました。しかし、これは日本人女性だけでなく、バリに来るフランス人でもオーストラリア人でも、同じようなことになってしまう人はなってしまうもので、実際僕も、フランス人でバリのハンサムな野郎にぞっこん惚れていて、フランスからお金を送り、その男性の商売を支援している女性などと会いました。いいじゃないかそれで。落ちちゃうときは落ちちゃうのです。
好きな人とバリ島で、しかもどこか隠れ家のようなホテルのガゼボで海を前に寝転んで本を読んだり、時折いちゃついたりするなんては、恋をした人の妙味ですよ。生涯にもう二度とないかも知れない、さぞかしきれいな思い出になるでしょうね。


1999年11月6日
盗み聞き

 (パチパチパチと、ガドガドが来たので拍手)
【女1】:いいよ、いいよ、いいよね。これがガドガドかあ。ビールまだいく?
【女2】:うん
【女3】:(ガドガドの写真をとっている)
 (続いてミーゴレンなど3種類ほどの料理が運ばれてくる)
【女1】:ワーイ、いいな。ガドガドってちょっと匂わない?
【女2】:うん、匂う。何?
【女1】:だけどさあ、バリの男って気を使ってくれるよね。
【女2】:そうそう。あの親切なのと、笑顔がなんかいいよね。
【女1】:日本にはないよね。何かうんとすましている感じがするじゃない、日本の男って。
【女2】:ガイドなんてさあ、一日つきあってくれたら、やっぱ気を許しちゃうんじゃないの?
【女1】:結構そういう子、いるっていうもんね。私、ならないけどわかるよね。
【女2】:うん、わかるわかる。
【女3】:(喋ることなく、写真に忙しく、食べることに忙しい。)


僕はこんな会話を盗み聞きしながら、バリのカニをひたすら一生懸命食べていました。
オイスタソースにしろ、ブラックビーンズやチリソースにしても、やっぱりカニは炒めてからのほうが香ばしくて美味しいけど、脂質分を思ったりして、今日はスティームにしました。
日本は3日が休みなので、4日、5日と休みを取り3日〜7日まで日本の旅行客は多いのかもしれません。
それにしても、先の会話は10年以上前、日本にフィリピンの女性がたくさん入ってきて、日本の至るところのスナックやクラブで旋風を巻き起こしましたが、あの頃、日本の男性もちょうど先の会話と同じような話をしていました。何かしら日本の女性にない素朴さや暖かさがあって、日本の女性はツンとすまして、冷たさとわがままがあるように思えると多くのフィリピン狂いの男性たちが言っていました。


1999年11月8日
タクシー

バリタクシー(ブルーのタクシー)が徐々に戻ってきました。暴動で450台のタクシーが焼かれてしまった。メーター付きバリタクシーが走り始めて、観光客も僕も喜んでいます。
白いタクシーは、用心。メーターなんてあげない者も。べらぼうな値段をふっかけてくる者も。
昨日、テガナンに行きました。10時50分から19時だと、3492円。8時間もタクシーに乗っていたら日本だったら、10万円は越えるはず。
タクシーといえば、ホテルの専用タクシーにも腹が立ちます。まず、基本料金がブルータクシーの2倍はします。ちょっと予定の変更でもあれば交渉をしなければなりません。
バリ島が安心して、リゾートを楽しめるところになるには、バリタクシーのような会社、店などが登場しなければなりません。やはり、タクシーはバリの顔のようなものですから。


レザーショップについて
2,3の試作をお願いしました。2つの店とも言ったとおりのものができないという結果でした。オーダーする場合、その辺は注意して。腕がよく絶対に信頼のできる職人を必ず見つけるつもりです。見つかったら報告します。


1999年11月9日
アクエリアスホテルのマデさん

アクエリアスホテルで働いているマデさんの奥さんが裁縫が得意だというので巾着袋をつくってもらうことになりました。
マデは29歳。旧都の港町でバリの北部にあるシンガラジャから、単身クタに出てき、職を探し、やがて結婚しました。
クタも有名な通り以外は、本当に村という感じで、マデの住むアパートはクタの中心にあるのですが、庭でアヒルなどもガアガアと鳴いています。近くでは、子供たちが土に線をひいて、ピョンピョン跳んでする石蹴りをやっていました。ヒンズーの子もイスラムの子もいっしょに遊んでいます。イスラムの子は、黒い帽子をかぶっているのでわかります。僕も、昔同じような遊びをやったことがあり、懐かしく思いました。
マデのアパートはちょうど4畳半くらいで、その部屋に夫婦二人で住んでいます。ベッドがあってあと、奥さんの中国製のミシン(35年程前に見たようなものでした)、小さなテレビとラジオがあります。
そんな部屋が並んだ棟の端にトイレとシャワー室があり、部屋代は15万ルピア(2500円位)、トイレ代が3万ルピア(500円位)だそうです。共同の炊事場、洗い場がありますが江戸時代の路地のようです。親から離れてクタで身を立てていこうとすれば、最初は誰もこういうところからスタートするのでしょう。
僕も学生時代は、渋谷の4畳半で冷房もなくムシムシした部屋に住んでいましたが、住めばこの4畳半が世界となって、別に不便は感じませんでした。
一緒に出てきた友達の中には、すでに成功の道を歩んでいる人もいるようです。インドネシアはこれからなんだ、これから一旗あげるぞという若者も多くいます。
お父さんがシンガラジャで木彫などをしていて、弟が家に残り、その血筋をひいたらしく、木彫をやり、絵を描いています。
マデさんは少々の日本語も喋ります。
アクエリアスホテルに来る人がいたら、ぜひともレストランでシンガラジャのマデさんを探してください。ちょっとはにかみ屋のよい男です。因に、このレストランにはマデさんが二人いますので。ハンサムな方のマデさんです。


1999年11月10日
バリの女性

クタかウブド以外の地域で生活をしていくのは大変難しいらしく、クタでなんとか仕事を探して、両親に仕送りし、また妹の学校に通う費用の足しにしようという女性や男性が多くいます。
今日、チャンディダサの近くの村から、この春、クタに出てきて叔父の家に厄介になって、仕事を探している女性に会いました。
何か将来したいことがあるのかとたずねると「ない」と答えます。本当にないのかと聞くと困ったような顔になって、いろいろ思い浮かべたりするのでしょうが、やはり「ない」と答えます。
「お金を得たい」それが今精一杯の希望のようで、なんともしれない気持ちになりました。
バリの女性は、本当によく働きます。どんなこともいわずします。同じ世代の僕が接した限りのアメリカ人女性のように理屈をこねませんし、なんだかんだと文句を言ったりしません。たいへん一緒に仕事がやりやすいのです。


1999年11月12日
ポロシャツ、Tシャツを作ってくれる店

いつもデンパサールの問屋さんで専用のポロシャツを作ってもらいます。生地も良く、注文どおりに作ってくれるので(もちろんプリントなども)たいへん重宝しています。
レザー商品のように、今のところ失敗、騙されたな、ということがありません。だいたい1000円で上等のもおのができます。バリで1000円といえば高いのですが、日本では5000円以上は絶対にするポロシャツで、イタリアものなんか同じで、ポロのよりはずっといいと思っています。
バリでポロの服もたくさん売ってますが、おすすめできません。ブランド品がおすすめできないのです。本物といっても、こちらで作っているもので、どうしても品質が落ちます。NIKEのものもそうです。

【店の連絡先】
 Sidharta シドゥハルタ Jl Durian 10, Denpasar Tel. 0361-222578


両替について
セントラルクタの両替所が最も安心でき目安になるレートとなるのですが、この頃、ルピアの価格が各両替所でずいぶん違うのです。因に今日のセントラルクタは1円67ルピア、ホテルでしたら60ルピアくらい、銀行は59ルピアくらい、クタの町では74ルピアというところもあります。アチェ問題で値動きが激しいのかも知れません。