14.チフス

ぎぼち悪い〜。
なんなのこの仕打ちは。
私が何をしたっていうの。
あぁ〜誰か、いっそのこと殺ぢでぐれィ。


タバナン遠征より帰還したので、この御身、御疲れになったのは当然、と思っていたのだが
戻ってきて5分もしない内にあれれれれ、みるみる私は何かに体を乗っ取られたようになりそして茹だっていった。


勘のよさにかけては右にも左にも出るものがいないことが何の自慢にもならない私は何の前兆かは すぐにわかってしまう。
あたりまえだ。
なめんなよ。
誰だと思ってんだィ。
いくつだと思ってんでぇ。
何年この体と一緒に歩んでてきたと思うんだい。


もうこれは完全に高熱のそれも流感の前兆のそれである。
家に帰ってきて日課の酒も飲まずすぐに大量の抗生物質と風邪薬2、3種類をがばっとかっくらいベッドに。
これで安心、安心。
夜中ものすごい寒さで眼が覚める。
寒すぎる。
雪女参上の気配も感じる程だ。
すぐにトレーナー、セーター、ジャンパーと着込み、靴下を履き、シーツ、タオルケット、毛布とかぶる。
なぜか日本より持参していたホッカイロがあったのを思い出し靴下の中へ入れ、胸にも抱く。
すっかり雪だるまと化して余裕で寝る。
「これで明日の朝はすっきりね。ふふふ」と不適な笑いまで浮かべて。


 翌朝......あぁ、なんで眼なんか覚ましてしまったのだろう。
お目覚めスッキリの筈だったのに昨日の156倍はツライ。
ツライという感覚を感じている余裕もない。
トイレまでの道のりが恨めしい。
という程の道のりもないのだが、行かなくてはならぬくらいならいっそのことここで......。
......とまで思いつめた程だ。
そして誰も殺してくれる人がいない善良な行き方をしてきた自分が恨めしい。


 ここまでだったら普通よりちょっと程度の重い熱病である。
しかし今回、いつもと違う症状に:
@目玉の裏も表も横もとにかく割れるように痛い
Aムカムカムカムカ..... 寄せては返す 吐き気の波 
Bどこへ行ったのやら大便・小便ともに行方不明 
Cそのくせ腹部膨満


なんだかなつかしい症状だ。
.......と思ったらA型肝炎になったときの症状にそっくりだった。
あの時は「えっ、これの名前はもしや うんち?」と疑ったほど便が真っ白、尿も泥水を飲んだかのようにコーク色だったものだが、今回は未だコーク色の尿にも白便にも対面してない。
というよりもそれらはどこへ行ってしまったのだろう。


 3日目。
とうとう病院へ。
結構滅多な事でもドクターになど行かないのだが今回はちと訳あり。
というのも現在勤め人であるので病欠勤したら診断書を提出しなくては行けない故、早い話が診断書を取りに行った、というか買いに行った、ということですね。
ところがである。
予定ではそこで「ただの重い風邪」という診断書をもらう筈だったのにご丁寧にも「サルモネラ腸チフス」という題名の診断書を頂いて、いや、金は払った。


頭をよぎる「隔離」の文字。


「母屋から裏庭へ狭い庭を通り抜けていくとうっそうと木が生い茂る一角がある。
そこには建ってから、おそらくこれからも一度も陽に当たることのないであろう暗くじめじめした離れがある。
そこが私の場所だ。
じっとりとした生乾きのような薄い布団はめくるときのこが生えている。
窓というものがない部屋に唯一あるのは食べ物を運び入れる為に扉の下の方をくり貫いた猫扉。
お盆に乗せられた注ぎ口がかけている水差しとかけた安物の湯のみ茶碗。
糞尿の臭いが充満している部屋で母屋からの楽しそうな団欒の声を聞きながら確実に死に向かっていく自分。」


暴走を始めた人間の想像力というのは恐ろしい。


どうやら「赤痢」と勘違いしていたらしい。
チフスは空気感染はしないのだった。
「便」からしか感染しないらしいのでそんな人はいないと思うが、誰かが私のうんちを間違ってさわってしまいその手で物を食べたりでもしない限り感染することはないのである。


 しかし「チフス」は音感・字面ともに印象がよくない。
「赤痢」だとなんかこう重々しい。
真剣さが感じられる。
歴史も感じられる。
同情も集めやすい気がする。
でも「チフス」だとなんとなく軽々しく下品で歴史もなにもないような「どこの馬の骨かわかりゃぁしない」
という感じがぬぐえないし、同情どころか下に見られそうである。


 私がこの病魔に教われた原因は全く私という人物に合っていて、どこをどう、何をどう考えたってそれは路上の物売りなのである。
朝・昼・晩と世話になっている彼らの所為にするのは卑怯というものだが、いかにも私は卑怯な人間である。


 まぁ、とにかく何とか二本足歩行は出来るので昨日から職場復帰したのだが、とにかくずーっと吐き気とガス、言ってみればおなら、に付きまとわれているのだ。
このガス、言ってみればおならは、とにかく臭くない。
殆どが音のしないスカシッ屁なのだが臭くないったら臭くない。
こんなエチケットを心得た立派な姿勢のおならだったらもうどこへ出しても恥ずかしくない。
誰でもいいから捕まえてきて、是非、おならが世の中に出る瞬間に我が尻辺りに顔を据え付けたい。
しかし無臭のおならを簸るからといって果たして本当に恥ずかしくないかということを今一度考えた。
そんなことはない。
やっぱり恥ずかしい。
十分恥ずかしい。
おならというのは臭いから恥ずかしいのではなく、その音が恥ずかしいのであるのだな。


とにかく今、こうしているときも内臓が出そうになるのを堪えつつこっそりと片尻をあげているのである。
要は音さえ誤魔化せばいいのだから簡単である。


ところでその「中身」は一体どこへ行ってしまったのだろう。