| なぜ蟻という漢字は虫遍に義なのだろう? 正義の義。 律儀の儀の右半分(つくりというんだっけ?)。 義理の儀。 ...となんだか正しい。 イソップ物語の中でも蟻は褒め称えられている。 そんな一生懸命さや努力を続ける姿は時に疎ましがられる。 学級委員長や風紀委員長の子が「なにさ、いい子ぶってさ、ふんっ」と陰口を叩かれるでしょう? あんなもんだ。 Baliに生きる蟻は嫌われ者である。 その貪欲さ積極性、しつこさ、獰猛さ、が嫌われている。 漢字の蟻とはまるで別格なのだ。 「皆さんも働き者のアリを見習いましょう」ということには絶対ならないのです。 また、アリといえば<群がる><たかる>などの形容詞として使われる。 「落ちてたお金に群がる民衆」とか「土地を売って大金を手にした隣のバアさんは村中からたかられている」のように使う。 ちょっと違うがアリは<手足がしびれる>という時にも使われる。 まぁ言われてみれば確かにしびれた時は何か小さな生き物が這っているような感じがするがその小さな生き物は別にアリじゃなくてもよいではないか。 然もしびれた状態は決して心地よいものではない。 そんな心地の悪い状態を表現するのに名前を使用されるのだ。 ダニだって虱だっていいではないか。 彼らはすでに全世界で嫌われ者の地位に鎮座しているのだからここらで汚名の1つや2つ増えた所でどうってことはない筈だ。 反って「ハクが付いていいぜ」とか言うダニや虱だっているに違いないのに。 アリといえば砂糖を連想するけれどナンノナンノ..。 辛いものにも、しょっぱいものにも、すっぱいものにも、味のないものにも寄ってくるのである。 どんな味かは知らんが乾いてない傷口にだってよってくる。 何を思ってか髪の毛の中にだって入ってくる。 あつかましいことにパンツの中にも進入してくる。 当然断りもなしにである。 アリがこのように一生懸命なのは全て自分達の為なのである。 「世直しの為に辛いものにもしょっぱいものにもたかるんです」とか「恵まれない子供達の為に乾いてない傷口に寄るんです」や「断りもなしにパンツの中に侵入するのはボランティアなんです」などという理由によるものではないのである。 全て自分達の為なのである。 エゴイストという言い方もある。 なぜ日本ではあんなに尊敬されていたのにBaliでは後ろ指を指されるような存在に成り下がってしまったのだろう? 日本での栄光を取り戻したいとは思わないのか? とにかく目が離せない。 何かを食べようとした直前「ちょっとトイレへ」とか「ちょっとスプーンを取りに」とかの理由でその場を離れたら最後。 再び戻ってきた時には貴方が置き去りにした食物は、それが何であろうと見かけはチョコチップ入りになっている。 退治しようとしたってだめだめ。 アリころりやら床に線を引くアリチョークやら、レモンを塗りつけたりなんかしたってアリ達にしてみればへのカッパ。なんとかっていう人が書いた<あり>という本によれば一匹のアリを見たらその家の敷地下の10倍の範囲にわたってアリの地下組織はすでにあるそうな。 オー! こわい話ではないか。 そして石油を撒いたって、おまけに火までつけたってアリはそれらに対する免疫力をドンドンつけてより強くなる….言ってみれば我々が彼らを訓練して育てているようなもんである。 先日、数ヶ月放っておいたワードプロセッサーを久しぶりに開き起動スイッチをONにした。 画面が明るくなる。 「んん?」 目がチカチカする….いや画面上に黒い物がチラチラしている。 画面の周りは黒色の線が細くなったり太くなったり…不規則に縁取られている。 端はしがワラワラしているそれらは、よくみたらアリ達だった。 しばらく使用してなかったワードプロセッサーはアリの住み家になっていたのである。 自分達の城砦を隅から隅へ、辺から辺へ、個々に、連れ立って…と嬉々として画面を駆け回っていたのであった。 臭いものには蓋をするという世の常識にならって、見て見ぬ振りを決め込んだ私は鳥肌を立てながらワードプロセッサーの端っこをつまみ静かにパタリと閉め元の場所に戻してすみやかにその場を離れた。 そのことがあってから私の中で<あり>は恐れ多い存在になってしまった。 真っ向から立ち向かうのは止めた。 一般市民がマフィアやヤクザを疎ましいと思ってたとしても、戦おう、やっつけようとは思わないのと同じだ。 遠巻きに、なるべく関わらないように共存するのだ。 あれからのアリ達の城砦の繁栄具合を覗いて見たいのだが、何をも恐れない強い精神を身に付けてからにするとして、今はただ部屋の隅に置かれているワードプロセッサーをチロチロと横目で伺いつつその中で繁栄を極めているであろう<アリンコワールド>を想像して鳥肌を立てている気弱さである。 |