| <不浄の左手>というのをご存知でしょうか? MUSLIM、HINDU の宗教国の殆どは左手は<不浄の手>である。何かを人に渡すとき左手で渡してはいけないし、左手で物も食べない。 なぜか? 排泄の始末をする手が左手だからである。水で洗うのである。大体が手桶...よく日本の風呂場にあるやつか、空き缶ですくった水を右手で自らの尻にかけながら左手で洗い流すのである。 ちなみに私は中国で<砂処理>、スマトラで<木の葉処理>の経験もある <砂>を使用した時はネコの気持ちが解かったし<葉っぱ>使用のときは猿の気持ちが解かったのは金では買えない貴重な体験だ。しかし面白いことにどの方法でも使用する手は左手だ。例外なく左手だ。人間はなぜ左手を<不浄>とし右手を<神聖>としたのか?広い世界逆があっても良い筈だ。..というわけでどなたか知っていたら教えて下さい。民俗学な事は専門ではないのでこの辺で止めておき私の専門分野の俗物学へと話を戻す。 先に述べたことからも判るように左手でものも食べないのも納得というものだ。これらの文化の人たちの大多数は箸もフォークもスプーンも使わず手で直接食べ物を口に運ぶ。左利きの人も食べる時は右手を使うように小さい頃から厳しく躾られるんだそうな。これで左手を使ったらそれこそみそもくそも一緒というものだろう。(うっかり..というようなことはないのだろうか?) 地球上の90%がこの方法で始末をするのだそうな。...ってことは日本はマイノリティーなのである。この90%の人たちに言わせれば紙のみの処理なんて不潔極まりないらしい。何だかきれいになった気がしないらしい。まだかけら(?)がふっついている気がするらしい。たぶん多くの日本人も密かにそう思っていた筈だ。でなかったら今、こんなにもウォシュレットが人気になることには至らなかった筈ではないか!以前はトイレから出てきてその足で風呂場へと向かい尻を洗う人は痔持ちの人だけだと思っていたがそれがどうだ、今日本国民は尻を洗いたがってる!! 力説してしまった。 力説する題目が<尻を洗う>というのはいかにも私らしい。そしてかくゆう私も不浄の左手所持暦7年になる。果たして7年という年月はこの場合ベテランの部類に入るのかどうかはさて置いて。 <小>のこの方法を使っての処理は最初からすんなりと入っていけた。その後結構な期間を<不浄の左手ビギナー>として上級者へのステップアップである<大>の処理に踏み出すべきかどうかで思い悩むのである。一度染めたらもう二度と以前の私には戻れないのである。親からもらった大切な身体である。いや、でも、しかし、一度体験すると人生観が変わるというし。(聞いたことないけど) その時は突然に訪れた。何の前触れもなく...。ある日<事>の終了後、「発つ鳥 跡を濁さず」の性格を持った<奴>を出産したと確信した瞬間、人生を変えるなら今だと実行に踏み切った。 するとどうであろう!新しい世界が広がったのである! とにかく気持ちが良いのである。 とにかくさっぱりするのである。 とにかくお薦めである。 やはり<人生観が変わる>と体験者が絶賛するスキューバダイビングの初体験の後でさえ何も変わらなかったこの私なのに。 その一方、新世界を知ってしまったばかりにこれまでの人生を呪うことにもなったのだ。 「私が正しいと信じてきたことが正しくはなかったのだ。私は今まで不潔だったのだ。」 何かがガラガラと音を立てて崩れていった。そんな愕然としている私の気持ちも知らず当の本人である尻の方はさっぱりとした面持ちですがすがしく凛としていたのが印象的だ。気品さえ漂っていた。 何だか良いことをしたような、偉くなったような気がして、胸をはってトイレを出たように記憶している。 しかし良いことをした筈の、しかも気品のある尻を持つ、偉くなった私がその日は一日中左手の匂いを嗅いでいたことは言うまでもない。しかも情けないことに、まるでやましいことをしているかのようにこそこそと人目をしのんだ<隠れ嗅ぎ>だ。 それからは<しつこい性格>や<芯のない性格>、<頑固な性格>とどんな性格の<奴>でもかわせるようになった。ただ右手で書き物をしながら左手でスナックをつまむ、ということができなくなった。こんな時左利きの人が羨ましい。 「まっ、いっか どうせ石鹸で洗ってるんだし」と危うく左手を使いそうになった時もある。(本当は何度か使った) これは余程自分をしっかり持ってないといけない、と自分に厳しくし続けた。そしてそれらに打ち勝ったときから私の人生は変わった。どうゆう風に変わったかと言うとですね、ただトイレットペーパーの為の出費が不要になったというだけですね。。 このまえトイレに行こうとしてすれ違いに出てきたRiekoさんに「もう紙ないで」と言われ「私は水派ですから」と言ったら「あーそうなんやぁ、へー、ふーん、紙使わんのぉ、水ねぇ、はー..」としきりに感嘆符を並べていた。 その日を境になんだか彼女が私と握手をしたがらないし、態度もどうもよそよそしいのだけれど、ただの気のせいだろう。 |